人とシステム

季刊誌
NTTデータエンジニアリングシステムズが発行する
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No.18 | トピックス
紙ヒコーキの世界
キングインベスト株式会社
専務取締役 戸田 拓夫 様

経歴

主な活動

1993年 ふくやま美術館にて折り紙ヒコーキの個展をひらく
1995年 「飛べとべ紙ヒコーキ」出版
1996年 ドイツ、デュッセルドルフ、佐賀、鹿児島にて紙ヒコーキ大会をひらく
1997年 パリ凱旋門から飛ばすTV企画プロデュース
1998年 NHKおしゃれ工房主演 愛媛紙のまち資料館にて折り紙ヒコーキ展開催
1999年 3m巨大紙ヒコーキ(東海テレビ)主演 (同年 科学技術庁長官賞受賞)
「よく飛ぶ立体折り紙ヒコーキ」出版

主な経歴

キングインベスト株式会社 専務取締役
K2ファインメタル株式会社 代表取締役社長
日本折り紙ヒコーキ協会 会長
日本折り紙ヒコーキ協会
ホームページhttp://www.oriplane.com/index.html

はじめに

精密部品
写真1 主業の精密部品

月曜朝7時、主要幹部による会議が始まる。激動といえる日本産業界の中で、私の主業である鋳造業界も厳しい時代を迎えており、あらゆる角度から経営の改革を進めている。

本年は、精密鋳造と金属射出焼結の増産体制とISO9002取得を平行しておこなわなければならない。難問は山ほどある。

夜8時、帰宅、ふろに入りメシを食って一息ついたら私の別次元の世界の始まりである。そう、紙ヒコーキが私のもう一つの顔なのである。

一口に紙ヒコーキと言っても大局して2つのジャンルに分れる。

1.切り紙ヒコーキ

堅紙を切ったり貼ったり、
組み立てたりして作るヒコーキ

ヒコーキ
写真2 切り紙ヒコーキ

2.折り紙ヒコーキ

一枚の紙を折ることだけで作るヒコーキ

ヒコーキ
写真3 折り紙ヒコーキ

私が研究をしているのは後者の折り紙ヒコーキである。

折り紙にこだわるのはいくつかの理由がある。切ったり貼ったりすれば、どんな形でもできて当り前だし重心の位置を調整することも簡単である。折り紙はそれを一枚の紙で折ることのみでおこなわねばならない。

その厳しい条件つきで、どこまで実機に近ずけられるか、また折り紙ヒコーキ独自の世界を作れるかが面白いのである。一枚の紙に美しい形と飛行する機能を持たせる、いうなれば科学的価値を与えるのである。

動力も無く、ひとたび手を離れれば操作はできず、勝手気ままに飛ぶ紙ヒコーキ。時として全く思うようにならなくて腹がたつこともある。それがまた魅力なのかもしれない。折り紙ヒコーキは、どんな場所でも数分あれば作れるので飛ばしたい所で飛ばすことができる。

雨上りのビルの屋上や、さわやかな風の吹く山合いの高台から飛ばせば視界から消えるまで飛び続けることができる。軽い為に上昇気流にのりやすいのである。良く飛んだヒコーキは当然のことながら二度と帰ってこない。

手元に残っているヒコーキはというと、そこまでは飛ばなかった少々なさけないやつらなのである。私が紙ヒコーキにのめり込んだのは、大学時代に体調を崩したことがきっかけだった。

がむしゃらに勉強、部活と充実した毎日から、この時を境に、目標からズルズルと後退し、そのうち気力も失せ、何をするでもない日々を過ごすようになった。その頃、何とはなしに手元にあった紙で、折り紙ヒコーキを折ることもあったが独自の作品を生み出すほどではなかった。

ある日、本屋で折り紙ヒコーキの本を見つけ、「これこれ」と思い買って帰り折ってみた。ところがまともに飛ぶのはほとんど無く、少々腹がたち、著者の住所を見ると、私の下宿から30分ほどの距離だったので行ってみることにした。

その本の著者、中村榮志氏に、本の通りに折ったからうまく飛ばない旨を告げると、「そりゃ君、ヒコーキの翼のうしろを調節しないと飛ぶわけないよ」と言われ、「こりゃ、1つ勉強になった」と思った。

しかし帰り道に「それくらい本に書いてくれるべきではないのかなあ?」とまたまた少し腹がたった。その後、何度も氏を訪問しては様々なヒコーキにまつわる話をお聞きした。

紙ヒコーキというのはちっぽけな世界ではあるけれど奥の深さを教えて頂き真剣に自作機を作る気になった。1ヶ月くらいの間に200機ぐらい作ったと記憶している。作品を氏に見て頂いたところ、「こりゃ君、なかなかのものだよ」と煽ててもらい、またまたその気になった。

立体折り紙スペースシャトル開発

広島から幾分かの志を持って東京へ出たものの、行きついたのが紙ヒコーキでは人に言える筋あいのものではない。折り紙ヒコーキが得意ですと言ってもその価値を認めてくれることはまずないと考えた。

価値をもし認められるとしたら、人をうならせるような自作機が欲しい。それはコックピット付きの立体折り紙ヒコーキしかない。寝ても覚めてもそのことばかり考えた。

折っては戻し折っては戻しているうち、ある日、ぐしゃぐしゃの紙の中から一つの基本的な折り筋が見え、それからはあっという間に立体形のコックピット付きのスペースシャトルができてしまった。

立体スペースシャトル
写真4
代表作 立体スペースシャトル

夜中の2時頃だったと思うが、1つの作品を生み出した嬉しさはたとえようのないものだった。その後はさらに多くの作品ができ、私の下宿は紙ヒコーキで天井も床も一杯になった。

家主さんが部屋をのぞいたら、私が紙ヒコーキに埋まっているように見えたという。奇妙な下宿人がいる、これは危ない人かも知れないと思ったことだろう。

世に出るまで

大学を中退して郷里に帰る時、限られた梱包材を前にして迷うことなく紙ヒコーキを詰め込み、高価な専門書は早稲田の古本屋に引き取ってもらった。さて郷里に帰って会社勤めを始めてからは、忙しさにかまけて気にはなっていたものの、紙ヒコーキは段ボールに入ったままで10年以上も眠った状態が続いた。

ある時、仕事で飛行機を中心とした業務をされているジャムコという会社と取引が始まり、初めて人に紙ヒコーキを研究していたことを告げ、作品を技術の部屋に飾って頂いた。その時を境に私の第二の紙ヒコーキ人生が始まった。

折り紙ヒコーキ人生

10年の眠りから覚めた我紙ヒコーキ道はめまぐるしく活躍を始めた。土曜日曜は日本全国のどこかで紙ヒコーキ教室をすることになった。ドイツ大会をした2日後に佐賀大会というハードスケジュールだったりテレビ、ラジオなど仕事場から生中継ということもあった。

不況のさ中、仕事にさしつかえないように気を使った。民放のバラエティ番組に出るとテレビ局の都合でスケジュールが目茶苦茶になることが多くなり出演を辞退するようになった。そのかわり出版社の依頼により折り紙ヒコーキの本を書くようになった。折り図はCADで書きたかったが、予算の問題と表現の難しさで、結局、今でも手書きである。現在3冊めを執筆中である。

凱旋門から飛ばす

挑戦の様子
写真5 凱旋門から飛ばす

テレビ番組の企画でパリの凱旋門から折り紙ヒコーキがどこまで飛ぶかプロデュースしてくれないかという依頼が来た。(写真5)

凱旋門の上から本当に飛ばさせてくれるのかという大いなる疑問を感じながらパリ入りをした。

案の定、館長は許可しないの一点張り。そこで民放、得意の作戦、泣きおとしである。手違いにより日本の子供が紙ヒコーキを凱旋門から飛ばさせてもらえるということで既にパリに来ている。「1機ぐらいいいじゃないか。あなた方は芸術と科学で最も進んだ国ではないか、みみっちいことを言うな。」と食い下がったところなんとか許可がおりた。

高さ55m、螺旋階段を息を切らせて登った凱旋門の上から見たパリの街は絶景であった。テレビの主役は私の息子(当時9才)であったが私にとっては今までやってきた総決算のような気持ちで夢を託した。

しかし当日は特に風が強く凱旋門の下を潜った風と乗り越えた風が渦巻いており、とても紙ヒコーキが飛ぶような状態ではなかった。何度投げても風に翻ろうされるばかり。私は息子の後ろで指導していたのだが、これはダメかなと半分諦めかけた時にふと思いついた。

理論上良く飛ぶはずの紙ヒコーキほど気流に左右されるのかも知れない。それならと、翼のうしろを強くひねり波状飛行させることにしたところ見事に飛んでくれた。僅か1分半程の飛行であったがパリの街を、まるで1つの意志を持った生き物のように飛んでくれた。

3m巨大スペースシャトル

昨年4月、東海テレビで3mの巨大スペースシャトルを作り山の上から飛ばすという企画をおこなった。全長1.5mでも相当苦労したので、3mというと体積で8倍だから、こりゃ、もうどうしようもないと考え、お断りすることにした。

しかしスタッフの熱意に根負けし結局はやることになった。私としては紙に厳しい条件をつけた。

  1. コピー用紙の20倍以上の強度
  2. 厚いけれど1/2の比重の紙
  3. 折りがきちんと入り戻りにくいもの

これはよもや無いだろうと思ったが、番組スタッフは日本中をかけ回ってさがして来た。残念ながら、わずかに強度が足りない為、翼に細い棒を1本補強に用いなければならなかった。

飛行は岐阜県の皿月スキー場で行った。雑木林の中に落ちると取りに行けない為、1回の飛行に全てを懸けなければならなかった。初速と角度に全神経を集中しての投てき。谷あいに向って一直線に横揺れ縦揺れ一切なく、本物のスペースシャトルのように安定した飛行であった。(写真6、7)

テレビを見られた方もおられると思うが、私が言うのもおかしいが実に大成功ではなかっただろうか。

挑戦の様子
写真6 3mのスペースシャトル発射
挑戦の様子
写真7 飛んだ!

宇宙から

私はこれを将来、宇宙から地球に向けて飛ばしたいと考えている。宇宙で折って外野カプセルに入れ、シャトルの大気圏突入の直前に外に放つ。紙ヒコーキの大きさは約70cmで強くて軽い紙を用いる。小さなビデオカメラを装着し、紙ヒコーキから見た地球を映像で追いかける。

説明図
説明図
図1 宇宙に向けて飛ばす
著書と代表作
筆者の著書と代表作
スペースシャトル

本当に飛ぶのか?燃えてしまうのでは?と思われるかもしれないが、東大の航空宇宙工学科の鈴木真二教授にそのシュミレーションとデータ解析をして頂いたところ、可能性は充分にあるとのことだ。

そんなバカげたことをやってどうするのと言われることもあるが、そう思う人にあえて返答はしない。大切な事は、不可能と思えることを可能にすることである。

そこから何かが生れ、新しい価値観や真理といったものが見えてくるのではないだろうか? 最先端の金属や部品を駆使して作ったものでなく、一枚の紙を折るだけで作ったヒコーキが宇宙から地球に帰還してくる。

なんと小きみの良い夢であろうか。それが、最先端の金属部品を主業としている私にとって、唯一最大の夢なのである。