人とシステム

季刊誌
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No.19 | トピックス
日本初の公立楽器博物館
主任学芸員 嶋 和彦

略歴

1955年 大阪生まれ
京都大学教育学部卒業後、大阪府豊中市立第七中学校勤務
1990年 ジャカルタ日本人学校勤務
1994年 浜松市楽器博物館学芸員
主な活動
高校時代より大阪リコーダー・コンソートに所属し、リコーダーならびにリコーダーアンサンブルを西岡信雄氏に師事。
その間アンサンブルとして全日本リコーダー・コンクール最優秀賞、大阪文化祭賞、音楽クリティッククラブ奨励賞を受賞。
1988年ブリュッセル、アントワープ、ロンドンにて公演。
1990年までリコーダー・オーケストラ豊中市少年合奏団指揮者。
ジャカルタ滞在中はロンボク島、カリマンタン島の音楽文化調査に参加。
浜松市楽器博物館
〒430-7790 静岡県浜松市板屋町108-1
TEL:053-451-1128 FAX:053-451-1129

楽器って面白い

楽器は音を出すもの。楽器多しといえども、 音を出す原理はたったの5つ。管楽器のように空気が鳴るもの、弦楽器のようにピンと張った弦が鳴るもの、太鼓のようにピンと張った膜が鳴るもの、木琴のように個体そのものが鳴るもの、そして電子オルガンのように電気が鳴るもの。

しかし、楽器の形態となると千差万別。たった1本の竹でできた笛、ゴチャゴチャとレバーが一杯ついたフルート、まっすぐな金属製ラッパ、ぐるぐる巻いたホルン。

そのすべてに理由がある。竹はもともと円筒形。それにいくらでも手に入る。笛を作るにあたってこんな便利な自然物は他に無い。フルートは孔が指の数より多くなったことと、孔が大きくて指でふさげないので蓋とレバーが付いた。金属で円筒を作るには、とりあえずはまっすぐが簡単。長すぎると取り扱いが不便だからぐるぐる巻いておこう、といった具合。こんなことを考えながら楽器を見ると、人間の考えることがやたらとほほえましく、かつその知恵や工夫に驚かされる。そんな楽器の知恵と工夫、そして感性を地球的規模で紹介しよう、というのが浜松市楽器博物館である。

楽器の街に楽器の博物館

1995年4月、浜松市に日本初の公立楽器博物館がオープンした。5年が過ぎ、私は今、その現場でチーフの立場にある。館長は浜松市の文化・スポーツ振興部長が兼任しているため、実際の博物館活動の企画や毎日の運営は、私を含めた数人の現場スタッフが担当している。

浜松市が楽器の博物館を作ろうと決めたのは10年ほど前のこと。竹下総理時代の「ふるさと創生事業」で浜松市は「音楽の街づくり」を提唱した。ご存知の通り浜松市はピアノを中心とした洋楽器産業の分野では世界の中心地のひとつ。楽器博物館の設置は、この音楽の街づくりの一環として計画された。楽器の街に楽器の博物館、誰もが納得する構想である。

博物館外観
楽器博物館外観
低層部の1階と地下1階が楽器博物館。JR浜松駅より徒歩7分。

とはいっても、建物は簡単に作れるが、展示する楽器がそう簡単にそろうはずがない。世界に誇れる博物館をめざすならそれ相応の質と量が求められる。時を得て朗報が入った。ヨーロッパの楽器における今世紀最大の個人コレクションのひとつであるアメリカ、ニューヨークのローゼンバウム家コレクションが売りに出されるというのである。収集の担い手だった主のロバート氏が亡き後、このコレクションは夫人が管理していたが、公に役立つなら手放すという。浜松市とローゼンバウム家の間ですぐに話が進み、1992年、歴史的名器をも含むコレクション450点あまりが浜松にやって来た。

教師から学芸員へ

ここで、なぜ私が今浜松の楽器博物館にいるのか簡単にお話しておこう。

音楽や楽器は小さい頃から好きだった。よく、なぜですか、とたずねられるが、そんなことわからない。好きなものは好きなのである。幼稚園ではカスタネットや木琴、小学校ではハーモニカとリコーダー(縦笛)、中学校ではブラスバンドでユーフォニウム。高校からはふとしたきっかけで大阪音楽大学の西岡信雄先生(現在は大阪音楽大学学長)から本格的にリコーダーとそのアンサンブルの訓練を受けることになった。大学は教育学部に進み、卒業後は公立中学校の教師になった。音楽ではない、英語である。10年目の1991年4月からは文部省派遣教諭としてインドネシアのジャカルタ日本人学校へ。

そのジャカルタ在任中に西岡先生から1通の手紙が届いた。「浜松で日本初の公立楽器博物館を作る計画がある。ついては専任学芸員を探しているが日本中探してもそんな人物いるわけが無い。転職することになるが、どうだ君がひとつやってみないか。」

もともと音楽や楽器はジャンルを問わず好きだった。所属するアンサンブルもリコーダー以外に世界各地の笛を演奏するようにもなっていた。1台数百万円もするピアノにも、1本たった数百円以下の竹の笛にも、ベートーヴェンのシンフォニーにも、名も無い羊飼いが吹く笛のメロディーにも、同等の価値を見出せる姿勢は、西岡先生とそのアンサンブルから得た貴重な私の財産であった。

好きでなった教師である。このまま続けるか、辞めて新たな世界に40歳からの人生をかけてみるかの選択だった。答えが出るのに時間はかからなかった。日本で始めての仕事をやってみよう。女房も快く賛成してくれた。1994年4月、家族で大阪から浜松に転居。楽器博物館開館の1年前であった。

楽器博物館の先輩

さて、この楽器博物館というもの、ヨーロッパが先進地である。楽器に限らず博物館そのものがヨーロッパで生まれ育ったもの。日本には明治になって博物館という概念と名称が生まれた。しかし、他の西洋文化と同様に行政側の制度やハードだけが輸入されたため、日本では博物館を支える研究活動、クリエイティヴな側面が、未だに市民権を得ていない。また社会でどのような役割を果たすべきなのか、人々がどのように博物館を利用したらよいのかという社会の制度、言い換えれば文化、これも今もって暗中模索の状態である。日本ほど〇〇博物館という施設が多い国は珍しいだろうが、研究や活動や利用され具合の実態は、欧米のそれにとても及ばない。

話を元に戻そう。楽器博物館の第1号はベルギーのブリュッセルにある王立楽器博物館。ベルギーといえばかつてはアフリカなどに殖民地をたくさん抱えていたし、ヨーロッパ音楽でも中心地のひとつだった。膨大な楽器コレクションを整理して公開したのが1872年のことである。ベルリンにも1887年創設の国立楽器博物館がある。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠とするコンサートホールに隣接するヨーロッパ屈指の楽器博物館である。

パリではつい2年程前、国立の音楽博物館が新装された。ウィーン、ロンドン、ミュンヘンなどにも国立、公立、私立を問わず、すばらしい楽器博物館がある。音楽をただの遊びではなく文化として認識し、楽器を文化財として大切に扱っているのである。

ただ当然といえば当然だが、惜しむらくは、ヨーロッパの楽器博物館は自国あるいはヨーロッパの楽器を優位に置いていることだろう。地球上のあらゆる楽器を対等に取り扱う楽器博物館は、こう言ってはなんだが、浜松市楽器博物館が世界初だろう。

館内写真

ヨーロッパ展示室の1部

ベートーヴェンやモーツァルトが生きてた頃、19世紀のピアノや管楽器がずらりと並んでいる。
館内写真

19世紀ヨーロッパの管楽器

形のおもしろさは抜群。クネクネ曲がっているのは「セルパン(蛇)」という名のラッパ。
館内写真

アジア・アフリカ展示室

バリ島の「ジュゴッグ」は世界最大級の竹の木琴。直径約20センチの竹筒が並んで圧巻。

日本の楽器博物館

自国の楽器でさえ、その種類と歴史の総体がわかる、市民向けのきちんとした博物館がなかったのが日本の実状。根本的には歌舞音曲を人間の欠くべからざる文化としてとらえていないからだと思う。

東京の武蔵野音楽大学、国立音楽大学、大阪の大阪音楽大学には、世界の楽器を収蔵するすばらしい楽器博物館または資料館が既にあるが、これはあくまでも大学教育と研究のための資料であり機関。程度の差こそあれ一般市民にも公開しているが、世の中の休日は大学も休み。基本的に社会に公開するという使命は、大学の博物館には本来ない。

楽器という人間が作り出した道具を老若男女皆で見つめてみましょう、という社会教育生涯学習型の公立博物館は浜松が最初である。

楽器からのメッセージ

楽器を見て何がわかるの?楽器は音楽を演奏するための道具だから、音楽がわからない、あるいは音楽に興味がない人には何の役にも立たないでしょう、と思われるだろう。応えは否である。

楽器博物館は音楽博物館ではない、というのが館の基本姿勢。楽器が音楽の演奏を目的に作られたことは確かである。見るためだけに作られた楽器は本質的に無い。しかし、楽器は音楽という目に見えないものではなく、目に見える物体である。形、材料、加工のされ方、施された文様や彫刻の様式や意味、演奏の目的や場面、演奏の方法、楽器の持ち方、扱い方、製作者、製作方法、使用地、使用文化圏、使用が許される人々、製作に要した技術、動力の伝達機構、他地域への伝播、製作や演奏方法の伝承、楽器が象徴するもの等々、音楽以外の情報が一杯詰まっている。もちろん、その楽器で奏でられる音楽も無視できない。どんな音色、どんな音量、どんな高さ、どんなメロディー、どんな和音、文化による好みの音色の違い...。ひとつの楽器から実に様々な疑問が湧いてくる。

こんなことは音楽家や演奏家よりも、むしろエスニックの美術愛好家や織物愛好家、機械技術者や自然科学者にとって興味のあることで、そんな方に大勢来館していただきたい。

ピアノを例にしてみよう。今のピアノはなぜ黒いの、なぜ鍵盤の鍵は黒と白なの、誰が最初に作ったの。

最初のピアノは黒くなかった。いや19世紀、モーツァルトやベートーヴェンが弾いていたピアノも黒くなかった。鍵の数も今のように88個もなかった。ペダルを踏むとドン!と太鼓の音が出るピアノもあった。イタリア人のクリストーフォリという人が最初に作った。1700年頃のこと。クリストーフォリはフィレンツェの有名なメディチ家に仕えていた楽器職人。詳しいことはわからない。ちょうどその頃日本では、江戸城松の廊下で浅野長矩の刃傷が起こった。

このようにして楽器を見ると、絵や彫刻、焼き物、生活道具と同じように、私たちの歴史と暮らしが見えてくる。

館内写真

展示品の演奏デモ

19世紀ウィーンの太鼓とベル付きピアノは大人気。ドンとチンは必見ならぬ必聴。
館内写真

ミュージアムサロン

第3日曜日の楽器文化ミニ講座。この日はインドネシアの竹製ハンドベル「アンクルン」の体験教室で、筆者が講師。
館内写真

ピアノの原点

現存最古1720年製クリストーフォリ・ピアノのレプリカ。毎日デモ演奏している。音色も音量も今のピアノとは段違い。

みる・きく・ふれる

浜松市楽器博物館の収蔵楽器数は現在約1700点、その内展示数は約1000点。19世紀を中心にしたヨーロッパの楽器が450、日本が250、アジア・アフリカ・アメリカが300。楽器といえばすぐ思い浮かぶピアノやヴァイオリン、お琴や三味線から、神社の鈴、木魚、風鈴にいたるまでが展示の対象。要するに、音を出すために作られた道具ほとんどすべてを楽器として扱っている。展示の特徴は、まず、みる。すべてガラスケースに入っていない露出展示である。

もちろん大切な文化財だから自由にふれることは出来ないが、いくら近づいて見ても結構。幸いなことに見学者のマナーのおかげで、露出展示による故意の楽器の損傷は今まで発生していない。

次に、きく。19世紀のピアノなど演奏可能なものは毎日数回、実際の演奏をお聞かせしている。弦楽器など演奏不可のものは、ヘッドフォンで音を聞いてもらう。これは、展示してある楽器を実際に演奏して録音したものや、同種の楽器で別の個体を録音したもの。アジア・アフリカ・アメリカ展示は残念ながら、まだヘッドフォンが無い。

最後に、ふれる。楽器だから、どうしても触ってみたい、自分で音を出してみたいと思うのが人情。これは大人子供問わずにあてはまる。楽器に限らず最近はどの博物館でも体験型、参加型が要求される時代。楽器博物館では現代の製品だが20種ほどの楽器を自由に弾けるコーナーを設けている。

また、物の展示にとどまらず、月1回のミニミニコンサート、毎日曜日の展示ガイドツアー、展示楽器を使ったレクチャーコンサート、楽器の文化講座、市内小学校への移動楽器博物館など展示をめぐるサービスの充実には日々努めている。

館内写真

ヘッドホーンで音を楽しむ

この楽器はフランス革命より前1765年に作られたチェンバロ。ロココ様式の華麗なデザインは息をのむ。
館内写真

体験コーナー

大人にも子供にも大人気。リサイタルをやってくれる入館者もたまにいる。
館内写真

展示室ガイドツアー

毎週日曜日に実施。模型での実験や実演を交えて解説する。ハープの弦の秘密は...。

これから

とにもかくにも、日本初の公立楽器博物館は多くの前任者による多大な努力の結果誕生し、試行錯誤を繰り返しながら満5歳になった。産みの苦しみ、幼児期の子育ての苦労はほぼ終わり、私を始め現スタッフに課せられた責務は、これからどう育てるか、育つかということ。

人間で言えば小学生だから、一生の基礎ができる時期といっても過言ではないだろう。自ら勉強する力や交友関係の広まり、人間としての包容力などを育てる時期である。博物館としては研究体制の整備や欧米の楽器博物館との連携、展示室のリニューアル、利用者へのサービスのますますの充実といった部分である。特に子供にとって夢のある楽器博物館にしてみたい。読者諸氏のご来館とご批判を仰げれば幸いである。

なお、個人的には転職してよかったと思っている。かつての趣味が職業になってしまったので気楽さは消え失せたが、その分自分も成長する。学芸員としてはまだまだ駆け出しだから早く論文のひとつでも書かなければならない。

もちろん教師もしていて良かったと思う。この紙面に拙稿を出していただけたのは、教師になった初年度の教え子であるカスタマ・サービス小川初恵さんのおかげである。また彼女の上司ならびに関係諸氏にも大変お世話になった。この場を借りて深く感謝いたします。