人とシステム

季刊誌
NTTデータエンジニアリングシステムズが発行する
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No.31 | 社長インタビュー
Fast to Market ―大企業の前の最高級のタグボート―

略歴

人物の写真
湘南デザイン株式会社
最高経営責任者
代表取締役社長
松岡 康彦 様
1956年 福島県生まれ。
1967年12月 先代が湘南デザイン株式会社を設立
1978年 國學院大學 経済学部を卒業
湘南デザイン株式会社に入社。常務取締役に就任
1981年 代表取締役社長に就任
1986年5月 株式会社デザインクラブインターナショナルを設立
1996年7月 湘南デザインシンガポールを設立
1998年7月 湘南デジタルソリューションズを設立
2001年6月 ネクシオン株式会社を設立
湘南デザイン株式会社は、試作品製造業として創業以来、34年間になります。
その間に、真空注型も、「Temp-Less」という、自社開発の工法を生出されています。
1986年には、いち早く3次元CAD/CAM「CATIA」を導入し、如何に速く3次元データを作るかに注力して、お客様のどのようなデータでも、効率良く処理できるCAD/CAE/CAM環境を作り上げています。
現在注目されているソリッドのアセンブリデータによるデジタルモックアップ作りにも取り組まれています。
人物の写真
HZS 取締役社長
福武 映憲

福武 1967年に湘南デザインが設立されて以来、36年間のうち、約2/3にあたる22年間、松岡社長が社長をされています。その間に、試作品の製造だけではなく、湘南デザインシンガポール、湘南デジタルソリューションズ、今や、世界で活躍するデザイン会社DCI(デザインクラブインターナショナル)、NEXEONの5つの会社を設立され、事業を拡大されています。

この22年間の成長の過程や、経営に対する考え方などをお伺いできればと思います。

入社2年で社長に就任

松岡 昭和42年1967年12月に父親が40歳のときに湘南デザイン株式会社を設立しました。

1978年に國學院大學の経済学部を卒業し、2月2日に入社しました。営業で、スタンレーさんとクラリオンさんを担当させていただき、お客様とも親しくなりましたが、図面が読めず、特にスタンレーさんは車の線図の図面で難しく、これではだめだと思いました。

2ヶ月営業をしましたが、社長である父親に頼んで、4月1日から相模原市の神奈川県立職業訓練校に入学し、図面の勉強をしました。ここでは、消しゴムから鉛筆からすべて無料で、失業者には失業保険までくれるのです。1年間勉強し、ボール盤を設計しました。図面が読めるようになって戻ってきたら、強いですね。このとき、教育は本当に大事だなと感じました。1年やっただけで、文科系の頭が理科系になっているのです。

2年間まじめに営業をし、お客様もつきました。

その2年間が終わって1981年に社長になったときは、40人の会社でした。

事務系をコンピュータ化し数値経営に

松岡 1979年に入社したときには、オフコンもなかったので、まず私が着手したのは、会社の事務関係、納期管理、給料管理などのコンピュータ化です。システム開発を内田洋行さんにお願いし、難しそうだと思ったら全部省いてもらっていいからとにかく簡単にしてほしいと要望しました。担当の方が優秀で、できるできないを的確に指摘してくれ、当時のシステムをWindowsに移植して今でも使っています。

そして、給料体系を替えました。当時、給料の1/3が生産手当てでした。生産手当ての良いところは、確かにわかります。湘南デザインも生産手当で伸びてきました。ところが、生産手当てを出して何年かたつと、職人さんは自分のペースで仕事をしたいので、相手と協調して生産する製品ではなく、ひとりで作れる物ばかりやりたくなるのです。

マニュアルのない会社が生産手当てを出すと、だめですね。Co-workした仕事は絶対できない。それで1/3の生産手当てを止めて、年4回払いに切り替えました。

儲けたら、私ももらうけど皆ももらうシステムに切り替えると話しても、職人さんはなかなか信じてくれない。でも、若い人は信じて頑張る。それで、若い人が好きになりました。当時私は25歳でしたから。

10年後に花を咲かせる

松岡 そこで心に決めたのは、自分より上は採らない。10年かけて人を育てて、10年後に花を咲かせてやると本気で思いました。

生産手当てを止めて、年4回払いに切り替えると、40人の社員が12人辞めました。しかも、できる人ばかり。

父親は心配しましたが、逆に考えれば、給料の高い人が辞めた分で、若い優秀な人がたくさん雇えます。22~23歳の人をたくさん雇い、2年ぐらいの間に50人になりました。こうして今の礎ができました。それと並行して、高校と大学と専門学校から新卒を採用しました。

今でも、30歳以下しか採らないですね。今は130人いますが、80人がプロパーです。当社の中心メンバーは、当時採用した人達で40歳ぐらいです。

社長が脱走!?

社長を2年間やりましたが、父親と合わなかったですね。父親は創業者ですから、自分で決めたことをやるというのはいいのですが、私は社長と言っても、父親が満州国の関東軍で、私は溥儀です。傀儡政権が2年。あまりにも合わないので、ついに脱走をしました。25歳です。

結婚もし、子どももできましたが、脱走しましたので、給料はもらえない。1年弱、アメリカンファミリーでがん保険の営業をしましたが、収入は非常に少なかったです。貯金で食いつないでいましたが、残り少なくなったときに、風の便りに聞いたのか、父親が迎えに来てくれたのです。お金もないし、これ幸いと戻ることにしました。27歳のときです。ただし、戻るにあたって、実印と、給与査定権を要求しましたら、父親が認めたのです。たぶん父親は、満州帝国の溥儀がそんなに頑張れるわけがないと思っていたのでしょう。ところが、もらったが最後、大改革を始めました。最初の2年ぐらいは父親も抵抗しましたが、しようがないと諦めたようです。

製造系のコンピュータ化

松岡 製造のコンピュータ化に着手するまでに、入社してから6年かかりました。

ありがたいことに、父親は無借金で会社を経営していました。無借金経営ですから会社は儲かっていました。1985年からコンピュータ化に入りまして、1億円かけてCATIAを導入し、毎月2000万円するNCの機械を買いました。

その頃、少し景気も悪くなってきていましたから、この会社は倒産する、気が狂ってる、あの2代目は頭がおかしいと、また職人さんたちが辞め始めました。

借金しようが何しようが、何が何でもやる。全部Numeral Control化しなかったら、未来はないと思ったのです。

【NC化】

最初のNCは、アマダさんを辞めて1人か2人でやっているソフト会社を紹介してもらって、教育を受けました。当時はまだPCはなくて、シャープのカセットのテープのようなものを入れて稼動するようなコンピュータを使っていました。

【CATIAの導入】

CATIAは1億円の投資でしたから、1年、全国を回ってCADを探しました。アンビル、CV、CALMA、GRADEも見ましたが、CATIAに決め、1986年9月に9370が販売されるとすぐに契約をして12月に導入しました。9370本体と端末2台でハードウェアが5000万円、ソフトウェアが2000万円、メンテナンスとリースの手数料などで2500万円。それで、3次元化に入りました。

20歳の人を2人担当にしました。1人は工業高校卒、もう1人は大阪デザイナー学院出身。「おまえたち頼む。これは1億円の投資だ。社運がかかっている。うちに帰るな。ベッドを持ち込め。金はかけてやる。仕事は取ってくる。」ということで始めました。

これで一つ結論が出たのですが、これだけの投資をしたと言って若い者に任せるとやりますね。こんなもの与えられてというのではなく、意気に感じる人間ではないと成功しませんね。これは社員に感謝するところです。

大企業の前の最高級のタグボート

松岡 設備に関しては、高くてもいいから最先端のものを買うようにしています。我々の目指しているのは、大企業の前にいる最高級のタグボートです。大企業になろうなんて微塵も思っていません。人数も、負け惜しみではなく、300人ぐらいはいいと思いますが、500人も1000人にもなろうとは思っていません。それより、優秀な集団でありたい。今はまだ水先案内人ですが。

【EOSINTの導入】

福武 この3ヶ月で4億円の設備投資をされていますね。

松岡 御社のEOSINTも入れてですよ。最高執行責任者の北が昨年の11月からヨーロッパを回って、「社長、これは一発いきましょう。金型の投資もしましょう。」「そうか。いくらかかる。」「4億です。」「わかった。ちょっと景気が良くなってきたらすぐいくからな。」と言っていたら、景気が良くなったので、北は3ヶ月4ヶ月考えて、4億円ぱ~と買いました。当然、「返済はお前だぞ。俺は知らん。お金は集めてくるけど、返済するのはお前だ。倒産したら、お前の責任だし、良くなれば、お前のおかげだ。」

人という点でも今回のEOSINTもそうです。

製造を経験した国士舘大学体育学部卒で教員免許を持っている者に工学部を卒業したばかりの者2人をつけて任せました。3Dシステムも同時に導入しましたので、あわせて2億1千万円の投資です。

担当者に「どうだ」と聞くと、「生涯給料より多い。多分、この会社一生いても2億1千万もらえない。」と言うわけです。「ずいぶん悲しいこというな。」と言うと、「社長、それが現実ですから」と。「何とかそれより出せるよう努力するから、まずは儲けろ。自分で仕事を取りに行け。必要ならお前に営業をつけてやる。」「そうですか。そんなことしていいんですか。」「いいんだよ。会社なんて何したってかまいやしない。何々しちゃいけないなんて誰が決めたんだ。俺は社長だ。」と、若い者に任せてきたというのが当社の歴史です。

20年前にCATIAを入れたのも、今日、EOSINTを入れたのも、何も変わりません。

【ワイヤーカット】

ワイヤーカットを担当している工業高校出の優秀な者がいまして、入社してまだ6年ですから24歳です。この間も、「どうしてもワイヤーを買ってほしいので、プレゼンさせてほしい」と言うから、「どうやって儲けるのか」と聞くと、「ちゃんと儲かります。」と。「必死にやるんだな。」と言うと、「やりますよ社長、これ買ってくれたら、うちには帰らない。」というわけです。「よし。」と、3台目を買いました。もう5000万円も私に買わせています。こういうやる気のある者には任せてどんどんやらせます。

優秀な人材

松岡 お盆休みに、釣り好きの名人に誘われて、釣りに行ってきたのです。結果は、名人は2日間で41匹、私と一緒に行った者が9匹、私は3匹です。

私も2日間、それなりに頑張りましたが、頑張っているように見えてもこんなに差がつくということです。これは、とても大事なことです。

真剣にやっている者とやってない者と、こんなに差がつくということです。これは、0匹なら首になるでしょうが、御社でも私のところでも、7匹ぐらい釣っていたら、首にならないと思います。

名人か名人ではないか、その道に卓越しているか卓越していないかで、こんなに差がつくということがすごく勉強になりました。

営業マンは数字で結果が出ますが、システムなどをやっていると数字が出ないので、頑張っているように見えているとわからないわけです。ということは、給料もそんなにかわらないことになります。

私もまじめに釣りをしましたが、半分どうでもいいやと思っていたところもあります。名人は絶対に釣ってやるという気持ちで望んでいます。

41匹釣る名人と私の給料の差は、成果が10倍以上違うにもかかわらず、企業では、実質3万円ぐらいの差にしかならないでしょう。

これでは、名人は怒りますね。本当にきちんと数値化してよく見てあげないと、かわいそうで済まされることではないです。人を見る目がいかに大事かということです。

今回の釣りは、会社経営には、本当に良い勉強になりました。

意気に感じている者と感じていない者と、10倍、15倍の開きがあることがわかります。会社に入って10年たってもずっと同じの者もいます。

これは嫁(かあ)ちゃんがこわいのですね。嫁ちゃんは強い。嫁ちゃんに信賞必罰みんな握られているのと同じですよ。女性が悪いというのではなく、男が弱すぎるのです。隣は7時に夕食を食べているのに、どうしてあなたは帰ってこないの。そういう話です。そうするとだんだん弱ってきて、嫁ちゃん人間になってしまいます。それに打ち勝ってくる恐妻家は、仕事と家庭をうまくこなし、成果をあげてます。

今から5年前に、幹部の1人と一緒に飲みに行って、「何をやりたいか。」と聞くと、「社長になりたいです。」と。「そうか、じゃあ、教えてやろう。俺が首になるようにいっぱい教えてやるから。」と。当時、若い者にも聞いたのです。「何やりたいのか。」と。「社長です。」と言うのです。「何番目にやりたいのか。」と聞くと、「社長の次にやりたい。」と言うのです。「お前もよく言うね。お前の上にいっぱいいるではないか。」と。「いや、私はやりたいので頑張ります。」と。それぐらいやる気のあるの人間と話をしているとおもしろいですね。

とにかく任せる、必要な人間にお金をかける、教育はOJTが多いですが、必要なら研修にも出します。

人材という観点でよく言われるのが、2:6:2理論。できる人が2割、普通が6割、できないのが2割。普通の6割も2:2:2に分かれる。正確に言うと、2:2:2:2:2ですね。

安心して大丈夫だという人材、つまり2:6:2のトップの2に当たる人材が、130人の中で15人ぐらいでしょうか。まだ、2割はいないですね。しかし、次のレベル、つまり2:6:2の普通にあたる6割をさらに2:2:2に分けたトップの2までを入れると俄然多くなりまして、100人ぐらいいますね。

福武 5段階に分けて、5、4の人が130人中100人もいるというのは、特別に何かなさっていらっしゃるのですか。

松岡 幹部が育ったということがありますね。誰に聞いていただいても、私と同じことを言います。次の15人ぐらいの幹部がよく育ってくれたということです。

福武 その方たちは、社長が実権を持たれて採用された方ですか。

松岡 そうです、一緒にやってきたメンバーです。

経営者に必要なのは先を見る目

福武 金型メーカさんでは、量産の仕事のために試作から仕事をさせていただく。試作を量産のための道具のように考えられている経営者もおられますが、御社の場合は、量産を考えておられませんね。

松岡 社内のシステムが、作っても1000個ぐらいまでで、普通は1~30個です。

300個、500個の注文が来ると担当にどうだと聞くと、「社長止めてください。300個も500個も自分の身体はそうなってませんから。」と平気で言うのです。「そうか、悪かった。なるべくとらないように営業に言っておくから。いくら儲かるからって止めてほしいよな。ココは我慢してやっててくれ。」「社長、たまにはいいですが、ここの所立て続けですよ。」「わかった。身体が慣れてきたら、頭使わなくなっちゃうよな。」「そうなんですよ。数やると、単純作業に入ってしまうので。」そのぐらいフランクにみんな言えるのです。

福武 一般的には、CAD、金型、成形のオペレータに分かれていますが、御社の場合は、1つの仕事を受けると、1人で初めから終わりまで責任を持って担当し、お客様に納期どおり収める。自分が作って持っていく。その概念が一般の会社と違うのでしょうね。優秀な人が育つポイントもそこではないのでしょうか。

松岡 そうですね。10年ぐらい前に、「社長、専門化しましょう。」という話がありました。「冗談じゃない、他の会社より優秀で覚えが早くて、形がわかって、お客様に、こういうところはドリルが入らないので、こうしませんかと提案できるのは、お前たちが自分で作っているからだ。金型からシミュレーションまでやっているから提案ができるのだ。君たちがシミュレーションなり、ドリルだけやっていたら、ソフトウェアがどんどん良くなって、誰でもできるようになったら使い物にならなくなるよ。」と言って、がんとして受けなかったです。今話をしていると、「社長の言う通りにしておいてよかったです。これだけソフトウェアが良くなってきたから。」と言っています。

以前は2000万円ぐらいしたCADが今は400万円ぐらいで買えます。そうすると、誰でもできるのです。

社員のほとんどの人間がすべてをわかるから、お客様は重宝がってあの集団はすごい、誰に聞いてもほとんど同じ答えができて、しかもレベルも高いといわれる所以だということです。だから経営者は少し先を見る目、beyondの世界ではなくて、こんな風になるだろうという推定ですね。この予測ができる人間が一番重要だと思います。幹部にも同じように言っているのですが、実践の中でやるようにしています。実践の中でやらないと言葉だけでは誰でも言えますから。見えないものを予測しなければならない。予測合戦ですね。

福武 先を見る目をもう少し具体的に聞かせていただきたいのですが、たとえば、試作を受注されたときに、メーカさんのモノ作りが変わっていく中でこの仕事が来たという流れも含めて仕事を見なさいということでしょうか。

松岡 そうです。おっしゃる通りです。

お客様もデジタル化が進み、できるだけ試作を作りたくない。お客様が試作を作りたくないとおっしゃれば、「お客様の要望を真摯に受け止めて、作らない方法を考えましょう。」と言うと、「試作で商売しているのにいいのか。」と言われますが、「いいです、別の方法で飯を食うことを考えますから。」と。お客様のご要望を本当に真摯に受け止めて、新しいモノ作りの方法をお客様とともに取り組みます。そうするとお客様にも喜ばれます。

私がお客様に試作を作るのを止めましょうと言い始めたのは、7年ぐらい前からです。「お客様に試作を作らないように提案しよう。それが言える会社がこれからは勝つんだ。」と言ってきました。北が実践を始めたのが、4~5年前からです。今、当社が忙しいのも、そうしてきたからです。

どんな商売でも同じだと思います。お客様のやりたいこと、真摯に受け止めて、実現していく。そのために、今これだけの設備投資しているのです。

金型に力を入れているのは、最終的には、金型がないと、バーチャルな世界だけでは製品はできません。金型はなくならないからです。

福武 お客様とのモノ作りの中で、モノ作りの方法論まで変わったという事例はございますか。

松岡 数限りないですね。

大規模の企業は、あまりにも関連部署が多くて、社内のシステムをなかなか変えられない。単純に物を考えなくなっていますね。

たとえば、量産と試作を分けてしまえばいいのです。量産までつながっていると思うから、何もかもぐちゃぐちゃになってしまうのです。この開発はココで終わる。それで物を流す。

ここの1次試作を止めましょうとか、T0は早くてもT5までいってしまうと、ここの2ヶ月無駄になるではないですかと。これをどう埋めるかという話をさせていただいています。

改革のできる人は、相当エネルギーを持ってやっています。さらに、ヒューマンネットワークのある人はできます。それ以外の人は、改革などできないですね。小泉さんが改革できないのは、一匹狼でヒューマンネットワークがないからですよ。

世界で活躍するデザイン会社DCI

福武 DCI(デザインクラブ)を設立されたのも、そのネットワークからですか。

松岡 実質27歳からスタートして、何でも自前でやろう、欠けているのは何かと考えたら、デザインです。

世界に向けてこれだけ車を輸出していているのに、日本のデザイン会社がひとつもない。全部イタリアです。おかしい。そういうところに何千万も払っているわけです。今の専務の栗原が、当時、諏訪精工舎、今のエプソンにおりまして、お付合いしていましたので、車のデザイン会社を作ろうという話になりました。ヨーロッパ中を向学してデザインクラブという会社を1986年5月1日に設立し、箱根に移転したのが10月1日です。

車のデザイン会社を立ち上げた当時はお客様もいなくて苦労しましたが、今はおかげさまで全世界から依頼があります。車の1/1の大きさで、80km/hまでなら走ることのできる車を作ることができます。偽物の車とだとはわからないでしょうね。

福武 試作で1台だけ作った車には見えないということですね。

松岡 そうです。そのレベルです。

DCIのほうは順調に伸びまして、デザインとモデルを分離しようということで、4年前の1999年にNEXEONという会社を作りました。ここで車の1/1のスケールでモデルを作っています。

1998年に富士通との合弁を作りました。これは、今の会長の秋草さんが弊社にいらっしゃって、富士通のモノ作りの弱いところを補いたいという話になりまして、会社を作ることになりました。資本金3000万円で、富士通が900万円出資している湘南デジタルソリューションズという会社です。これらがすべてできたというのは、全部、人です。人、物、金。必ず優秀な人がいて、金については銀行さんに説明して、銀行は結構ついてきてくれますね。都市銀行はだめですね。横浜銀行、八千代銀行、私がやりたいということは全部やらせてくれて、うれしい限りです。全部借金ですから。

福武 毎年の業績が良いからでしょ。

松岡 もちろん、悪ければ手のひらを返したようになるでしょう。いかに銀行さんを説得して、モノ作りをするか。ここで投資すればもっと儲かりますという話をさせていただきます。あれもこれもできるのも、人です。

大切なのは信頼

福武 当社も私より上は1人です。わかりやすい経営という点では、松岡社長と同じように考えていまして、儲かったものは、次の投資と職員に分配するということを約束しています。毎月、数字を出して、超えれば分配しますが、儲けられない場合は、払うものが減ります。だから、毎月、頑張りましょうという方針です。

最先端という意味でも、CATIAを使って良い物を作ろう。EOSのような商品や、ERP分野でも良いソフトを持っています。ICEM SURFも、日本の総代理店です。いろいろな道具立てを用意して、それぞれ責任を持ってやります。役にも立たないことをやってる振りをするのは止めようということです。

個人でできないことは会社という枠があればできるので、自分の夢を実現するために、この会社という枠を利用してください。

誰かが見つけてきて売れるかもしれないから事業化しましょう、やるのはこの人です。そんな馬鹿な話は止めて、自分が見つけてきて本当にいけると思えば自分で責任者になってやる。失敗したとき責任を取る。このような経営をやり始めて2年になります。

松岡 良くなりますよ。意識がだんだん変わってきますよ。御社の企業理念にも「お客様の信頼」と書いてありますが、お客様の信頼とこの社長は嘘をつかない、これが大事ですね。どんなときでも嘘をつくのだけは止めようと思っています。給料にしろ、方針にしろ、こうしてあげると言っておきながらしない、ということは絶対しないですね。

お金は結果としてもらえるとうれしいですが、皆さんプロセスが好きになってきて、これも大事なことですね。

これからの流れとしては、ファセットに向かっていくと思います。ワイヤーフレームからサーフェイス、今はソリッド。ソリッドも、今は当たり前ですが、結構議論がありましたが、「サーフェイスに留まっているわけがない、ソリッドに行くに決まっている。我々はソリッドだ。」

と取り組んできました。でも、今見ているとソリッドは重たい。そうするとファセットに行く。モノには流れがありますね。この流れをいかに掴むかが、時代時代で時代の寵児、生き残れる道だと思います。

大河になってから船を漕ぎ出すのは大変ですが、川のうちに、支流から漕ぎ出して、そのまま大河に行ける道筋を掴む。これに乗っていけば絶対大河にいける。そういうことを良く見ていこうと思っています。

特に買うものなどはそうですね。外れたものを買うと失敗してしまいますから、メジャーなものを買っていかないといけないですね。

福武 これも、先ほどの先を見なさいということの中から大河になる芽を見つけ出すということですね。

明日から、シンガポールに出張されるお忙しい中を、お時間を割いていろいろなお話をしていただき、どうもありがとうございました。これからもますますのご発展を祈念しております。

松岡社長のいつでもどこでも仕事ができるGlobal Goods

【モバイラーの証】

插絵

世界を舞台に活躍されている松岡社長は、いつ、急に海外出張に行くことになってもいいようにと、いつもGlobal Goods専用のかばんを持ち歩かれています。

かばんの中には、Globalのための七つ道具がぎっしり。

  • シャープの最新ザウルスでmail、Word、Excel、インターネット
  • 用途に応じてネットワークに接続するための各種モバイルカード
  • 最新の超薄型デジタルカメラとUSBの接続機器
  • 各国のコンセントの差込口
  • 車のシガレット口からとれる電源(これはどの国の車でも世界共通)
  • FOMAでいつでもどこでもテレビ電話、地域によっては同じ電話番号で携帯と切替えて使用