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株式会社NTTデータエンジニアリングシステムズ

No.88 社長インタビュー

「江戸切子で人を幸せにする」を掲げ
伝統を守りながら新たな挑戦を続ける
― 未来に残っても恥ずかしくないものづくりを目指して ―

伝統的な江戸切子の意匠を保ちながら、「米つなぎ」など独自に考案した美しい紋様の作品づくりを続ける「江戸切子の店 華硝[はなしょう](以下、華硝)」様。日本を代表する工芸品として北海道洞爺湖サミットの贈呈品に選ばれるなど、その作品は国内外で高く評価されています。さらに、異業種とのコラボレーションや、技術継承と職人育成のために江戸切子スクールを運営するなど、積極的な活動でも注目を集めています。今回は、ものづくり分野ということを接点に華硝3代目の熊倉隆行様に江戸切子の歴史や華硝様の取り組みについて伺いました。

北海道洞爺湖サミットの国賓へ贈られた
「米つなぎ」のワイングラス

代表取締役社長 木下 篤
NDES
代表取締役社長
木下 篤

木下 伝統ガラス工芸品である江戸切子の製造をされている華硝様に、ものづくりへのこだわりや取り組みを聞かせていただきたいと思います。華硝様の江戸切子のワイングラスは、2008年の北海道洞爺湖サミットで各国首脳への贈呈品になりました。これは、どのような経緯で採用されたのでしょうか。

熊倉 一番の契機は北海道洞爺湖サミットの前年、2007年に経済産業省の地域資源事業活用計画の東京都第1号の認定を受けたことです。この事業は、地域の中小企業が農林水産物や産地の職人の技などの有望な地域資源を活用して、新たな事業展開を図るというものです。当社の職人の技術力や芸術性が評価されたのだと思っています。この認定を契機に、世間一般に華硝の江戸切子がよく知られるようになりました。そして、北海道洞爺湖サミットの際、政府から各国首脳への贈呈品に選ばれたのです。当時の福田康夫首相の奥様のご推薦があったと聞いています。

木下 江戸切子にはいろいろな紋様があると聞いていますが、北海道洞爺湖サミットの華硝のワイングラスは、どのような紋様だったのでしょうか。

熊倉 華硝オリジナルの「米つなぎ」という、米粒がつながっている様子を表現した紋様です。江戸切子にはもともと十数種類の伝統的な文様がありますが、華硝が扱う江戸切子の紋様は、半数がオリジナルの文様で意匠登録もしています。今では華硝の顔ともいえるオリジナルデザインの「米つなぎ」は、細かい上に、削る部分によって大きさを変えるなど、高度な技術が要求されるため、以前は父である会長しか作れませんでした。現在は私も修業を重ねて作れるようになりましたが、会長の技術にはかないません。また、現在の華硝のオリジナル紋様は会長が全て考案したものですので、私もいずれ新しい紋様づくりに挑戦したいと思っています。

メーカーの下請けから脱却
江戸切子の製造・直販を決意

【華硝の江戸切子の作品例】一番左の写真が北海道洞爺湖サミットの贈呈品にも選ばれた「米つなぎ」紋様のワイングラス。下右の写真は、亀戸天神にある料亭「若福」で使用されている華硝の江戸切子の器
【華硝の江戸切子の作品例】
一番左の写真が北海道洞爺湖サミットの贈呈品にも選ばれた「米つなぎ」紋様のワイングラス。
下右の写真は、亀戸天神にある料亭「若福」で使用されている華硝の江戸切子の器

木下 華硝様はいつ創業されたのですか。

熊倉 1946年に祖父の熊倉茂吉が、ここ江東区亀戸で工房を設立したのが始まりです。当時は周りに切子の工房がたくさんありました。祖父は大手ガラスメーカーの下請けとして仕事をしており、私が子どもの頃、職人たちが工房を出入りしていたことを覚えています。また、1985年に東京都から伝統工芸品産業の指定を受けた際、祖父たちが「江戸切子」と名付けたと聞いています。

木下 江戸切子の名付け親というわけですね。その後を隆行さんのお父さまが継がれたのですか。

本店のショールーム
本店のショールーム

熊倉 父(熊倉隆一様・現会長)が2代目として後を継ぎました。当初はガラスメーカーからの依頼でガラス製品のサンプルを制作していましたが、日本のガラス技術の向上とデザイン革新のために自分でデザインしたカットグラスで勝負したいとの思いが強くなっていきました。1990年代にバブル経済が崩壊してガラスメーカーからの仕事が減ったこともあり、下請けから脱却することを決意し、「江戸切子の店 華硝」を設立したのです。現在でもデパートなどには卸しておらず、亀戸と日本橋の直営店とインターネットで直販のみを行っています。

木下 江戸切子の歴史を教えていただけますか。

熊倉 切子とは、ガラスの表面にさまざまな紋様を削り入れる技法のことで、一般的にはカットガラスと呼ばれています。江戸時代に、長崎・出島に伝わった西洋のカットガラスが参勤交代を通じて、江戸に持ち込まれました。
江戸切子のルーツは天保5年(1834年)に江戸大伝馬町(現在の日本橋)でガラス職人だった加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻したことに始まるといわれています。実は、後で古地図を調べてみると、当社の日本橋店は加賀屋久兵衛が江戸切子を始めた場所の近くでした。何かの縁をすごく感じています。

クリスタルガラスと遜色のない
高い透明度のソーダガラスを使用

木下 ヨーロッパはガラス文化が根付いており、ボヘミアガラスやバカラなども有名です。西洋のクリスタルガラスは軟らかいと聞いたこともありますが、江戸切子との違いは何ですか。

熊倉 クリスタルガラスは、その名の通り水晶のような透明度を求めたものです。透明度を高めるために、酸化鉛を混ぜて製造するため重く、軟らかい性質があります。一方、江戸切子はソーダ灰や石灰、珪酸を原料とするソーダガラスと呼ばれる一般的なガラス素材を使っています。鉛を含まないためクリスタルガラスより軽く、硬い性質があります。透明度も昔のソーダガラスは少し黄色みがかっていたのですが、最近ではガラス素材の研究開発が進み、ソーダガラスもクリスタルガラスと遜色のない透明度になっています。
また、クリスタルガラスは重いため、ガラス素材をつり下げて加工するそうです。そのため、精細なカッティングが難しいのです。

木下 華硝様の製品は、外国人観光客にも人気があると聞きました。海外で販売するというお考えはないのですか。

熊倉 現在は、本店と日本橋店で販売するだけでも生産が追いついていない状態なので考えていません。「江戸」にこだわり、こちらから販売に行くのではなく、東京に来ていただき、東京でしか実際に見たり触れたりすることができないものをご提供するというスタンスで、これからもやっていきたいと考えています。
外国人観光客は年々増えており、インターネットなどで下調べをしてから来店される方が多くなりました。かつて西洋から日本に伝わったガラス工芸が、江戸切子という日本文化を加味して再び西洋へ戻っているのは感慨深いものがあります。

日本橋の直営2号店 多くの外国人観光客も訪れる
日本橋の直営2号店
多くの外国人観光客も訪れる

独自の「手磨き仕上げ」にこだわり、
他社製品と大きな差を出す

木下 江戸切子ができるまでの作業工程は、どのようなものでしょうか。

熊倉 作業工程は大きく4つに分かれます。まず、ガラスメーカーから納品された素材の表面に文様をカッティングするための印をつける「割り出し」から始めます。
次にダイヤモンドグラインダーを使って大まかにガラスをカッティングする「荒摺り」[あらずり]を行い、さらに細かな紋様を正確に削っていく「仕上げ」と続きます。
そして最終仕上げとなる「研磨」を行い、検査で合格したものが完成品となります。

作品ができるまでの工程。一番左が、ガラスメーカーから納品された素の状態。その次の「割り出し」「荒摺り(1)」「荒摺り(2)」「仕上げ」「研磨」を経て完成品(一番右)となる
作品ができるまでの工程。一番左が、ガラスメーカーから納品された素の状態。その次の「割り出し」「荒摺り(1)」「荒摺り(2)」「仕上げ」「研磨」を経て完成品(一番右)となる

木下 これらの工程は全て手作業で行うのですか。

熊倉 全て手作業で行っています。会長は常々「時間をかけた仕事は誰でもできる」と言っており、当社の職人は皆、「速く」「正確に」「美しく」できることを心がけながら作品づくりを行っています。江戸切子の職人は手が型の役割を担います。手だけを使って同じ文様を正確にカッティングできなくてはなりません。

木下 私たちは、Space-EというCAD/CAMソフトを、主に金型業界向けに販売をしているのですが、江戸切子は、工作機などの機械を使用して作製するということはできないのでしょうか。

熊倉 切子に使用する素材のガラスは、宙吹きガラスという工法で作製されたガラスを使用しているため、全て同じ形ではなく微妙にコンディションが異なります。また、色については、透明なガラスに色ガラスを被せているため、色ガラスの厚みが微妙に異なっており、それを職人が手の動きや機械の回転スピードの調整などで吸収し、個々のガラスに合った最適なカッティングを行っているのです。
そのため、機械では作製できず、全て手作業で行っています。

木下 華硝様の江戸切子の製造工程で、特にこだわっていることは何でしょうか。

最初に行われる割り出し作業 グラインダーでのカットは、とても手早く正確に行われる
最初に行われる割り出し作業(上)、グラインダーでのカットは、とても手早く正確に行われる(下)
一つひとつ念入りな検品が行われる
一つひとつ念入りな検品が行われる

熊倉 他社との一番の違いは、最終仕上げの「研磨」です。カットガラスの世界でよく使われている仕上げ方法は、特殊な薬液につける「薬品仕上げ」で、大量生産に向いています。薬品仕上げは、ガラスの表面を溶かすことにより光沢を出すため、ガラス表面の強度が落ち、耐久性に差が出てきます。そのため、薬品仕上げの製品では、たわしを使って洗うとガラス表面に傷がつくため、たわしなどを使わず優しく洗ってくださいという注意書きが付きます。
一方当社では、独自に開発した「手磨き仕上げ」を行っています。それを、カッティングの約3倍の時間をかけて一つひとつに対して行っています。本来、ガラスは強いものなのでたわしでごしごし洗っても傷がつきませんし、もともと江戸切子は先祖代々引き継がれて使われていくような強いものなのです。
また、薬品仕上げはガラスの表面を溶かして仕上げるため、色ガラスの色が薄くなることから、切子は濃い紅(赤)色や瑠璃(青)色というイメージがあると思います。当社では一般的な紅色や瑠璃色の他に、ぶどう色や黄色みがかったアンバー(琥珀色)など、薄い色合いの切子もたくさん作っています。
それに、ガラスをグラインダーでカッティングしたエッジは、本来はシャープなものですが、薬品仕上げではエッジが溶けてしまってシャープさが失われてしまいます。これは、実際に触れてみればすぐに分かります。

木下 工房ではどのような機械を使って作業をされているのですか。

熊倉 主な機械としてガラスをカッティングするグラインダーがありますが、機械メーカーの製品ではなく、自分たちが使いやすいように自社で製作したものを使っています。まるで、料理人が自身に合った包丁を大事に使用するように、自分たちに合った使い勝手の良い機械を作り、使用しているのです。なぜなら、高い精度でガラスをカッティングするには微妙に手の位置を変えていかなければならず、手のポジションがとても重要になるからです。最近の職人は昔と体型が違い、背も高く腕の長さもずいぶん違います。作業しやすいように体型に合わせて機械を調整するのも容易な構造になっています。また、自社製作の機械なので、故障しても自分たちですぐに部品を交換して修理ができ、稼働率を落とさずに作業できるメリットもあります。

技術の伝承と人材育成に向け
江戸切子スクールを開校

木下 江戸切子の伝統的な技をいかに継承していくかも重要かと思います。職人の育成について、どのように取り組んでいらっしゃいますか。

熊倉 江戸切子を伝承するためには、人材育成が重要になると考えています。江戸切子の技術を今後も伝承し、共有していくには、職人を増やす二つの施策が必要だと考えています。まず、広く一般の方々に江戸切子の魅力を知っていただき、作る楽しさを感じてもらうことです。もう一つは、サッカーの若手選手を育成するユースチームではありませんが、江戸切子の職人になりたいという人が学べる場を作ることです。ガラスを扱ったことがある人は少ないため、江戸切子の職人とはどのような仕事なのか事前に知ってもらうことで、「工房に入ったけど思っていたのと違った」というミスマッチが防げます。
また、「自分も切子づくりを体験してみたい」というお客さまからの声もあり、社会貢献の一環として2010年に日本初の江戸切子スクール「Hanashyo'S」を開校しました。

木下 スクールで江戸切子の技術を学ばれた後、華硝様の工房で働いている方もいるのでしょうか。

熊倉 当社の職人は、世代も20代から30代と若く、スクール出身者がほとんどです。スクールに来る方は、手作業が好きという人が多いのですが、実際に体験をして手を動かしてみて向き不向きが分かることも多くあります。優秀な生徒さんには、「職人になりませんか」とこちらから声をかけることもあります。

木下 昔の職人さんは「先輩から技術を盗め」と言う方が少なくありませんでした。華硝様の江戸切子の技術の伝承はどのように進めていらっしゃいますか。

熊倉 仕事を通じて学ぶOJT(On the Job Training)を基本に、技術は全てオープンにしています。職人は何を学びたいのか自分でキャリアデザインを決め、それに応じて会長と私が技術を指導しています。また、会長が塾長となって、社内勉強会の華硝塾を週に1回開催しています。どうすればもっと速く、精度の高いカッティングが行えるかなど、それぞれの職人の課題を解決して工房全体のレベルアップを図り、華硝の技術体系を築く狙いがあります。
江戸切子の作品を作るには、昔は10年で一人前と言われましたが、当社では半分の5年でできるようにしたいと考えています。そうすれば本人も楽しく仕事ができ、自分の作品が売れればモチベーションも上がり、江戸切子の仕事の醍醐味[だいごみ]を知ることにつながります。

時代の変化に対応しながら
江戸切子の良さを後世に伝える

木下 江戸切子のビジネスを、今後どう広げていくお考えですか。

熊倉 江戸切子を中心に、より多くの方とビジネスの接点を作っていきたいと考えており、異業種とのコラボレーションにも取り組んでいます。佐賀県の有田焼や富山県の高岡銅器とのコラボレーションでランプを制作したのが一例です。どのコラボレーションもコラボレーションすることが目的にならないように、ビジネスとして成り立たなかったら即中止という姿勢で臨んでいます。相乗効果でお互いがメリットを享受できるように、対等の関係で緊張感を持って取り組んでいます。
他にも、いろいろなメーカーとコラボレーションをしており、手ぬぐい、スカーフ、扇子、スマートフォンカバーやお菓子のあめ等に華硝の江戸切子の紋様をプリントしたものを製作して販売しています。華硝の江戸切子の紋様に親しんでいただくため、ライセンスフリーでさまざまな業種の商品とコラボレーションをしています。

有田焼とのコラボレーションによるランプ
有田焼とのコラボレーションによるランプ
華硝のオリジナル紋様を使用したコラボレーション商品
華硝のオリジナル紋様を使用したコラボレーション商品

木下 それでは、最後に江戸切子に対する今後の目標をお聞かせください。

熊倉 世界中で200年以上の歴史のある老舗企業の約半数が、日本にあると言われます。それは、伝統を守りつつ時代の変化に応じて形を変えてきたからではないでしょうか。華硝のブランドメッセージは「江戸切子で人を幸せにする」ことです。私たちも生活や社会環境の変化に適応しつつ、生活に潤いを与え、幸せな気持ちになれるものづくりを目指していきたいと考えています。
ガラスは割れない限り、後世にずっと残ります。未来に残っても恥ずかしくないものづくりを目指し、江戸切子の良さを次の世代に伝えていきたいと思います。

木下 本日は、ものづくりに対する真摯な取り組みをお聞かせいただき、大変参考になりました。私たちは2017年12月1日におかげさまで創立40周年を迎えることができました。私たちも時代の変化に適応しつつ、この先も長く事業を継続できるようにしていきたいと思います。本日は、大変ありがとうございました。

会社プロフィール

写真
工房・本店 東京都江東区亀戸3-49-21
日本橋店 東京都中央区日本橋本町3-6-5
創業 1946年
事業内容 卓越した技術と芸術性を備えた江戸切子の作品を製造・販売を行う。直営店として1994年10月に「江戸切子の店 華硝」を亀戸の工房内に開設。2016年6月には日本橋に2店舗目をオープン。作品の販売のほか、体験型ワークショップも展開している。