人とシステム No.100
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 その日の明け方は底冷えがしていたが、昼を過ぎると暖かさを感じるまでになった。俺は作業場の出入り口辺りに積み上げてあるウェスを取り、機械油にまみれた指先をぬぐいながら、旋盤を回しているおやっさんの背中に、声をかける。「昨日は遅番だったんで、今日は早めに上がります」。おやっさんは、作業している旋盤から目を離さず、「おう、ご苦労さん、ゆっくり休んで、また明日よろしくな」。「お疲れ様でした」。手洗い場横にあるピンク色の粉石けんが入った箱の中に手を突っ込み一握りして、冷たい水で痛くなるほど両の手をこすり合わせ油汚れを落とすと、着替えと手ぬぐいを持ち、作業場の隣にある風呂場に向かう。まだ汚れていないお湯の、一番風呂がうれしい。 久しぶりに明るいうちに工場を出て、小ざっぱりした気分になり、ちょっとぶらぶら寄り道したい気分になった。街中にはちょっと前の大きな大会の余韻がまだ残っていて、さらに駅伝大会まであったものだからか、店先には、いろいろなスポーツにあやかった売り物を盛大に並べていたりする。首都の玄関口となる駅もきれいに整備されたこともあり、都心へ向かう人の流れもますます大きくなって、にぎやかな雰囲気だ。この町というかこの国は、どんどん新しい技術を取り込んで、ますます近代都市として発展していきそうな気がする。 おやっさんがことあるごとに言うには、新たな技術と発想を持った会社がどんどん生まれ出している、うちの工場の設備も一新して違う分野にも出ていきたい、お前ももっと新しいことを覚えてくれ、ということだ。 いつの間にか荒川土手のそばまで来ていたので、ひょいと土手の上まで駆け上がる。街中のくすんだ灰色の空とは違い、そこでは真っ青な冬空が広がっている。今は、ただ、目の前の仕事を片付けることだけしかできない俺だが、理由もなく、どんな困難が降りかかってきても、なんとか新しい道を見つけ、これまでなかった仕組みを作り出すことができそうな気がしてくる。明日は土曜の半ドンで気分も大きくなり、土手を駆け出していた。「人とシステム」100号発刊を記念してこれまでの百年これからの百年「人とシステム」が100号という一つの区切りに合わせて100にちなんだ読み物を企画しました。100年前の日本の出来事を思い返し、100年後の生活に思いを馳せる、そんなひと時の気晴らしになれば望外の喜びです。金型を利用した製品製造は、明治時代の1870年頃から貨幣や武器など官公庁に関わるものに始まり、大正時代には一般の製品製造にも普及していたと想像できます。利用されていた工作機械は、輸入物がほとんどだったようですが、1889年には池貝鉄工所が国産第1号の旋盤を開発しています。しかし、NC工作機は1950年代、CAD/CAMは1970年代まで待たなければいけません。1912年、金栗四三さんをはじめとする日本人が初めて参加したオリンピック・ストックホルム大会が開催されました。また、1920年、第1回箱根駅伝が開催されました。1914年に東京駅が開業されました。大正時代には次のような製造業が設立されています。日本光学工業(現ニコン)、松下電気器具製作所(現パナソニック)、東洋コルク工業(現マツダ)、鈴木式織機(現スズキ)などこれまでの百年背景100TH MEMORIAL36人とシステム No.100 July 2021

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