した。どうしようかと思い悩み家内や共同研究者に相談したら、「これは面白そうだから、もう絶対にいくべきだ」とか「この賞は、狙って取れる賞ではない」という助言があったので、授賞式に出席することにしました。 授賞式での1分間スピーチは、そこそこうまく話すことができ、その後にマサチューセッツ工科大学の大きなホールで3分間のインフォーマルレクチャーを行うことになりました。英語はそんなに得意ではないのですが、そこでスピーチした時は、たまたまユーモアやウイットがいい感じに出てすごく好評でした。スピーチの後、会場の皆さんからスタンディングオベーションを受け、今までの人生で経験したことのないできごとでした。入学しました。 その後、卒業研究に進んだ時に上田哲男先生に教えを請い、長年取り組むことになる粘菌の研究と出会いました。ただ、研究室の先生や先輩を見た時に、大変優秀でまぶしかったのです。それまで、学者に対する憧れはあったのですが、とてもこんな人たちと同じレベルではやっていけないとすごく感じ、修士課程を終え製薬会社に入社しました。 その製薬会社での研究も面白かったのですが、博士を取得できるくらいの研究を経験すると、次は海外で博士研究員に挑戦するという夢を持つようになったのです。そのためには大学の博士課程に進む必要があり、製薬会社を辞める決意をしました。ちょうどその時、恩師の上田哲男先生が、教授として名古屋大学に就任されたので、ご相談に伺い名古屋大学の博士課程に進むことに決めました。東 名古屋大学の博士課程では、粘菌の研究をやろうと思って入学をされたということですか。中垣 そうですね。もともと上田哲男先生は粘菌など細胞性の生き物におけるインテリジェンスを物理化学的に解明するというテーマで研究をされており粘菌が自律性を持って活動し、情報ネットワークを構築する能力があることを解明されていました。そのバトンを引き継ぎ、私なりに解釈をして研究をすることとしました。東 北海道大学時代に薬学部で粘菌を研究していたというのは、生物から薬を創薬するための研究になるのですか。中垣 1980年代は、薬学部といっても基礎的な研究をしている研究者がたくさんいました。粘菌の研究とは、いわゆる細胞の研究をするということで、あらゆる生命科学の基本だと思います。もう少し引いてマクロ的に見た時に、細胞自体が動くときはどういう形を作ったり、行動したりするのかを真正面から取り組むというのは、なかなか捉えどころがなく、研究がそれほどされていませんでした。しかもそれが、物質の集まりからどうやって自己組織化されていくのかという観点に立つと、物理の考えを持ち込まないと説明が難しいと感じていました。そこに唯一の糸口があったと思います。その時にたまたま、北海道大学の薬学部で物理学的な視点で実験をやっていく薬品物理化学講座があったのです。Kazuhisa Higashi3NTTデータエンジニアリングシステムズ代表取締役社長東 和久恩師、上田哲男先生との出会い東 先生は、どのように粘菌の研究を始められたのですか、ご経歴を交えてお伺いできますか。中垣 私の出身は愛知県で、里山のある田舎で育ち、その頃から生き物がすごく好きだったのです。小さい時から生物学者に対する憧れがあり、大学進学時に自然のもっとたくさんあるところへ行きたいと考え北海道大学の薬学部に両方の知識を持つことで解決の糸口を見つける東 薬学部で物理化学というのは発想が面白いですね。薬 企業も自社と他社の強みを組み合わせて 協力していく時代です
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