人とシステム

季刊誌
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No.107 | 社長インタビュー
視点を変えることで広がる可能性
解決策の糸口を見つける二つの視点と知識
視点を変えることで広がる可能性

あたかも知性があるように振る舞うという単細胞生物の粘菌を“かしこい単細胞”と呼ぶ北海道大学教授の中垣俊之様は、各専門分野との共同研究により数理学的なアプローチで、知性や生命、社会の本質に迫る研究を推進されています。自分の偏見から外れると視点を変えることができるという中垣教授に、生命科学に新しい発見をもたらすイグノーベル賞を2度受賞した粘菌の研究を通して、日々強く意識されていることや視点の持ち方について、お話を伺いました。

イグノーベル賞を
2度受賞した粘菌研究

北海道大学 電子科学研究所 附属社会創造数学研究センター 知能数理分野 教授 中垣 俊之 様 Toshiyuki Nakagaki
北海道大学 電子科学研究所
附属社会創造数学研究センター 知能数理分野
教授
中垣 俊之 様
Toshiyuki Nakagaki

《経歴》

1963年 愛知県生まれ

1987年 北海道大学薬学部卒(薬学学士)

1989年 北海道大学薬学研究科修了(薬学修士)

1989年~1994年 製薬企業勤務

1997年 名古屋大学人間情報学研究科修了(学術博士)
理化学研究所研究員を経て、2000年 北海道大学電子科学研究所 助教授/准教授

2013年 北海道大学電子科学研究所教授

2008年、2010年 イグノーベル賞受賞

《著書》

「かしこい単細胞 粘菌」福音館書店

「粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う」文春新書

「粘菌 その驚くべき知性」PHPサイエンス・ワールド新書

イグノーベル賞受賞

2008年、粘菌が迷路の最短経路を見つけ、あたかも知性があるように振る舞うことを実証した研究でイグノーベル賞の「認知科学賞」を受賞。さらに、2010年には複数のエサを結んだ粘菌の管が、実際の鉄道ネットワークと類似していたことを証明したことで「交通賞」を受賞されました。

 粘菌という単細胞生物のインテリジェンスについて研究をなさっていると伺っていますが、具体的にはどのようなものですか。

中垣 粘菌は単細胞ですが、巨大化して何十cmものシート状になることがあります。その中に網目のように管が張りめぐらされていて、その管の中には、栄養や信号が流れています。それが、1時間に1cmくらいの速度で変形しながら動くことで、エサにたどり着くことができます。一つの粘菌に複数のエサを与えてみると、最短距離を結ぶ線状に変形して両方のエサから栄養を吸収しようとします。そこで、迷路の入口と出口にエサを置いて粘菌に与えてみると、徐々に二つをつなぐ管に集約されてきて、半分くらいは最短距離で迷路を解くことができたのです。また、関東の地図を使った実験では、主要都市にエサを置いて、山や川などの障害物に粘菌が嫌う光を当てて、東京の位置に粘菌を置いてみました。エサに管を伸ばしていった結果を見ると、関東地方の鉄道路線図とよく似ていたのです。人間というか社会が作った交通ネットワークと同じような経路を粘菌も作り上げることができたのです。脳のない単細胞生物が、なぜ知性があるような動きをするのかという疑問を数理学的に解明する研究を続けています。

 先生は、粘菌の研究でイグノーベル賞を2度も受賞されており、粘菌が迷路を解く研究が最初の「認知科学賞」で、その2年後には「交通計画賞」を受賞されています。そのときの感想を聞かせていただけませんか。

中垣 イグノーベル賞の名前は知っていましたが、どのような賞なのかは知りませんでした。調べてみると、人々を笑わせて権威がないという印象を受け、そのセレモニーは、科学ネタの大人の学芸会みたいだと感じました。そのため、主催者に趣旨を確認したところ「本当の新しい発見とは、笑いを伴い意外性があるもので、研究の質は問わないが意外性や面白みがあって、何か奥深いことがある研究を探して顕彰している」という説明がありました。

 イグノーベル賞を受けるかどうかは、やはり迷われたのですか。

中垣 そうですね、結構迷いました。過去の授賞式の1分間スピーチの会場では、笑っていたり、紙飛行機が飛んできたりしていて、どこか嘲笑されているイメージを持ちました。どうしようかと思い悩み家内や共同研究者に相談したら、「これは面白そうだから、もう絶対にいくべきだ」とか「この賞は、狙って取れる賞ではない」という助言があったので、授賞式に出席することにしました。

授賞式での1分間スピーチは、そこそこうまく話すことができ、その後にマサチューセッツ工科大学の大きなホールで3分間のインフォーマルレクチャーを行うことになりました。英語はそんなに得意ではないのですが、そこでスピーチした時は、たまたまユーモアやウイットがいい感じに出てすごく好評でした。スピーチの後、会場の皆さんからスタンディングオベーションを受け、今までの人生で経験したことのないできごとでした。

恩師、上田哲男先生との出会い

NTTデータエンジニアリングシステムズ 代表取締役社長 東 和久 Kazuhisa Higashi
NTTデータエンジニアリングシステムズ
代表取締役社長
東 和久
Kazuhisa Higashi

 先生は、どのように粘菌の研究を始められたのですか、ご経歴を交えてお伺いできますか。

中垣 私の出身は愛知県で、里山のある田舎で育ち、その頃から生き物がすごく好きだったのです。小さい時から生物学者に対する憧れがあり、大学進学時に自然のもっとたくさんあるところへ行きたいと考え北海道大学の薬学部に入学しました。

その後、卒業研究に進んだ時に上田哲男先生に教えを請い、長年取り組むことになる粘菌の研究と出会いました。ただ、研究室の先生や先輩を見た時に、大変優秀でまぶしかったのです。それまで、学者に対する憧れはあったのですが、とてもこんな人たちと同じレベルではやっていけないとすごく感じ、修士課程を終え製薬会社に入社しました。

その製薬会社での研究も面白かったのですが、博士を取得できるくらいの研究を経験すると、次は海外で博士研究員に挑戦するという夢を持つようになったのです。そのためには大学の博士課程に進む必要があり、製薬会社を辞める決意をしました。ちょうどその時、恩師の上田哲男先生が、教授として名古屋大学に就任されたので、ご相談に伺い名古屋大学の博士課程に進むことに決めました。

 名古屋大学の博士課程では、粘菌の研究をやろうと思って入学をされたということですか。

中垣 そうですね。もともと上田哲男先生は粘菌など細胞性の生き物におけるインテリジェンスを物理化学的に解明するというテーマで研究をされており粘菌が自律性を持って活動し、情報ネットワークを構築する能力があることを解明されていました。そのバトンを引き継ぎ、私なりに解釈をして研究をすることとしました。

 北海道大学時代に薬学部で粘菌を研究していたというのは、生物から薬を創薬するための研究になるのですか。

中垣 1980年代は、薬学部といっても基礎的な研究をしている研究者がたくさんいました。粘菌の研究とは、いわゆる細胞の研究をするということで、あらゆる生命科学の基本だと思います。もう少し引いてマクロ的に見た時に、細胞自体が動くときはどういう形を作ったり、行動したりするのかを真正面から取り組むというのは、なかなか捉えどころがなく、研究がそれほどされていませんでした。しかもそれが、物質の集まりからどうやって自己組織化されていくのかという観点に立つと、物理の考えを持ち込まないと説明が難しいと感じていました。そこに唯一の糸口があったと思います。その時にたまたま、北海道大学の薬学部で物理学的な視点で実験をやっていく薬品物理化学講座があったのです。

両方の知識を持つことで
解決の糸口を見つける

 薬学部で物理化学というのは発想が面白いですね。薬品物理化学講座で学ばれたことが起点となり、その後どのように研究の幅を広げられたのですか。

中垣 薬学部でも物理が得意な方もいらっしゃいますが、あまり多くの物理を学びません。私は物理も好きだったので、製薬会社時代には、物理を取り込んだ研究を考えたりしていました。薬を作る時に、数学や物理をうまく持ち込んで研究を行う方法論は目新しく、それほど認知はされていなかったのですが、自分自身のサブテーマとしてひっそりと勉強していました。そうやって研究を進めていくうちに、大学の修士課程の頃は、あまり理解できなかった物理的な理論が、だんだん理解できるようになり見通しがよくなってきて、学生時代に到底追いつけないと思っていた先生や先輩たちの言っていることがよく理解できるようになったのです。

 物理を取り込んだ研究の経験を積まれたことで、考え方の見通しが良くなったということですね。

中垣 そうですね。一般的な共同研究では、例えば自分で作ったサンプルを別の方に解析してもらうなど、強みを合わせて効率よく分業することがあります。それにより、すごく良い研究成果が出ているのですが、1人の頭の中で二つのことを知っていなければ絶対発想できないようなことが隙間として残っていると思います。実は、いろいろなところにそのような隙間はたくさんあると思います。例えば、ある一方から攻めてもうまくいかないし、もう一方から攻めてもうまくいかないという時に、両方の知識があると解決策の糸口を見つけられます。このことを強く意識しながら研究しようという発想になっていきました。

 そういう二つの目線をお1人で持つことが大切で、研究にも生かされているということですね。

中垣 そう思います。今も、いろいろな先生と共同研究を続けていて、非常に優れた理論物理学の先生や、数学の先生が常にそばにいる環境です。一方で、細胞生物学の計測実験にたけた先生や、フィールドワークで野外の生き物をメンテナンスできるような先生たちも常に仲間としていて、そういう先生たちの力をお借りし、いろいろなことを教えてもらいながら、自分で消化して何か作品を作っていくという感じで研究を進めています。

粘菌の特性
粘菌の特性
単細胞生物「粘菌」(上右図)は、細胞膜という膜でおおわれていて、なかには、原形質と呼ばれる粘った液がつまっています。管も細胞膜で包まれていて、原形質が流れています。粘ったものが通るので、管は太いほど、また短いほど流れやすくなります。

下左と下中図:原生生物の培養装置。
フィールドワークによりさまざまな原生生物を採集し培養方法を試行錯誤しています。粘菌に限らず多様な原生生物の野外行動を研究しています。現在、飼育している原生生物は約70種類で世界的にも屈指の数を誇ります。

下右図:共同研究者の折原宏北海道大学名誉教授が開発した世界的にユニークな測定機器。
レオメーターとレーザー共焦点顕微鏡を合わせて、細胞や細胞集団の力学特性を調べることができます。

視点を変える、物事を粗く捉える
これが研究で大事なこと

 今の時代、企業を取り巻く環境は変化が早く、1社だけで何かしようというのは、ほとんど不可能だと思っています。企業も先生の共同研究と同じように、自社の強みと他社の強みを組み合わせて、協力し合っていく時代になっています。先ほどお話があった研究仲間がたくさんいらっしゃる環境の中で、大事にされていることはありますか。

中垣 私の研究では、数学の先生とモデルを一緒に作って解析してもらっているのですが、それをどういう方向で解析していくのかというのは、私の視点となります。何が前提としてあって、何が結果として出てきているのかは、きちんと理解しておきたいと常に考えています。そうでないと、ブラックボックス的に任せることになり、こちらから何も言えなくなります。私は、数学の先生にお願いしている解析に対しても意見があるときはきちんと話します。これが結構大事だと思っていて、餅は餅屋というように任せるのですが、任せっきりにならないように心がけています。

 それはいいお話です。やはり相手の世界観とこちらの世界観は少し違うので、そこは何かと共有すべきなのですが、共有しようと思っても簡単にできるものでもないですね。

中垣 おっしゃる通りです。数学の先生が数理モデルを作る時に、私と会話が成立しないのです。同じ言葉を使っていても、やはり思っていることに違いがあります。粘菌の共同研究を一緒に行っていた先生とも、最初の3年間くらいは、ただしゃべっているだけでした。ところがある時ふっと、「ああ、なるほど。2年前に数学の先生が言っていたのは、そういう意味だったんだ。それはすごいことだ」と気づくことがありました。それまで散々話し合ってきたのは何だったのかと考えさせられてしまいましたが、ひとたびこのように世界観の共有ができると、その後はもう一生の付き合いになれるのです。

 長年のお付き合の中で、世界観が共有できる研究仲間を増やされていかれたのですね。他にも研究を進める上で意識されていることはありますか。

中垣 そうですね。人はどうしても自分の偏見のある考えや見方で物事を見てしまうのですが、その時に視点を変えて違う見方をすることができれば世界は広がります。自分の視点は、これまでの自分の経験、自分の観点から作られるため、その外に出ることは簡単ではありません。そのため、私の研究では視点を変えることを強く意識しています。

また、0次近似や1次近似という見方をすごく大事にしています。近視眼的に一部だけ見ると全然合っていないことばかりが見えるのですが、どんどん引いていくと、おおむね合っているという見方ができるようになります。そういう1次近似というイメージで物事を粗く捉えていくことも私の研究で強く意識していることです。

 それは、どなたから学ばれたのですか。それともご自身の経験の中で得られたことですか。

中垣 明示的に言っていただいたことはないのですが、恩師の上田哲男先生が、実験結果がもくろみから外れた時に、本当に軽やかに視点を変えて、もっと面白いストーリーに変えていくということをよくやっておられていました。そういうところをすごく吸収したのではないかと思います。

 視点を変える。これは難しいことですが、先生がおっしゃるように意識することが大切だと思いました。

この度は、先生の研究においての視点や考え方、共同研究での関わり方をお聞きすることができ、企業にも通じる部分がすごく多いと感じることができました。新たな研究領域である「ジオラマ行動力学」を立ち上げられているということなので、そちらでの研究成果も期待しております。本日は、ありがとうございました。

中垣教授と研究室の皆さん 理論物理学、生物物理学、細胞生物学、などいろいろな専門のスタッフや博士研究員がいます。大学院生も生物専攻、物理専攻、情報専攻、人文社会科学専攻など多様な分野から集まっています。
中垣教授と研究室の皆さん
理論物理学、生物物理学、細胞生物学、などいろいろな専門のスタッフや博士研究員がいます。大学院生も生物専攻、物理専攻、情報専攻、人文社会科学専攻など多様な分野から集まっています。