人とシステム

季刊誌
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No.18 | 社長インタビュー
製造業におけるIT革命の動向
株式会社ファモティク
代表取締役社長
荒柴 雅美

略歴

人物写真
株式会社ファモティク
代表取締役社長
荒柴 雅美 様
1961年 東京外語大学卒業。米国ミネソタ大学院に招聘留学。当時米国の最大写真処理メーカーPAKO社の米国本社輸出部長及び、初代日本PAKO社社長として富士写真フィルム(株)と提携し国内の写真業界に貢献。
1982年 コンピュータ・ソフトウェア業界に転身、マイクロプロ・ジャパン(株)初代営業部長として"Word-Star"の国内導入に寄与その後米国本社ディレクターも兼任。
1983年 Autodeskを創業、初代社長。米国創業者グループの一員として活躍、オートデスクの隆盛をもたらし、1987年後半退任。
1988年 自己及び国内有志者資本を基にファモティクを設立。
現在 財団法人マルチメディア振興協会 理事
国境なき医師団(Medicins Sans Frontieres)理事
人物写真
日立造船情報システム
常務取締役 石塚 敬

石塚 Autodesk、日本オートデスク株式会社を立ち上げてこられ、manufacturing-web.comでは製造業をベースにして指導的な役割をされてきた荒柴社長にお話をお伺いできることを大変うれしく思っております。

Autodeskの起業

荒柴 私は、1983年に、アメリカサイドでAutodesk創業者と一緒にAutoCADを始め、1984年に自己資金で日本オートデスク株式会社を設立しました。

まさにベンチャービジネスで、当時はベンチャーキャピタルもなく、非常にプリミティブな形で始まりました。設立当時、人材を募集しましたら、名だたる会社をやめた人が入社してくるのですが、コンピュータの経験者ですので、お客様にCADの話をするのにわざわざ非常に難しいコンピュータのことを説明するのです。

これを見ていてビジネスにならないなと思い、必要以上にコンピュータ用語を使ってお客様と接することを禁止し、お客様に買っていただく、お客様に買いたい思いにさせるビジネスに変えたのです。そんなCAD会社はなかったのです。

アメリカでもこのことを主張し、なるべく技術者に難しいことを説明させないようにしました。それが、今はマーケッティング先行と言われているものです。

お客様の何の役に立っているのか、お客様にはお金を払っていただくんだ、ありがたいんだという2000年前からの商売としての心情を出したわけです。今でも考え方は同じです。

ファモティクを設立したとき、CAD/CAMに関わっていた関係で、2次元ではなく3次元のグラフィックスのHOOPS、Vellumなど単品物を始めました。そのときに考えたのは、自分たちでスクラッチから始めるか、アメリカの進んだソフトを持ってくるかでした。

結局、アメリカのソフトを持ってきましたが、それだけではどうしようもない。単なる商社にはなりたくない、どこかでメーカー的な指向をしたいと思っていたわけです。

Vellumは日本に持ってきても日本に合わず、合わないから開発元と話しあいながら、日本のお客様に合うインターフェース部分をどんどん作ってきました。今のVellumは、ほとんどファモティクで作ったものです。

そういう経験の中でひとつの転機として考えたことは、パッケージを販売していく場合、我々が一生懸命ひとつひとつ代理店を通じて販売しても、小さな会社であるだけに将来がないのではないかという、恐怖感でした。

生き残るには、サポートができる技術力、会社を維持していく資本力など、いろいろなことを考えると、パッケージだけでは駄目だろうと思ったのです。

コンポーネント

石塚 それは、いつぐらいですか。

荒柴 7~8年前ですね。ソフトウェアは、2年後3年後10年後どうなるかということを考えているときに、モノ作りの現場をみると、外から部品を調達し、ピラミッドになった横つながりの関係が非常に強いですね。

それがどうしてソフトでできないのか、できるはずだと考えました。それで「ソフトウェアパーツインダストリー」を育てることを世界的規模でやってほしいなと思いましたが、日本では誰もわかってくれない。

通産省も「何だ、それは?IT(Information Technology)とあまり関係ないですね。」と。コンセプトは同じなのですが、理解されなかった。ところがアメリカのMITの教授と話していたら面白いと言うんですね。

いろんなコンポーネントになりえる部品ソフトがたくさんできたら、CADにしても何にしても、それを集めるとかなり早い時期にいいソフトができるでしょう。そのときにパーツソフトウェアというのではなく、「コンポーネント」と呼ぶべきだと言われたのです。

コンポーネント・テクノロジー

コンポーネントは、独立していては意味がなく、コンポーネント、つまり部品を集めてひとつの動きにさせるものが必要です。そこで、「コンポーネント・テクノロジー」という考えが出てくるのです。

1994年に、ニコグラフや日本経済新聞の協力を得て、第一回世界コンポーネント・テクノロジー・セミナーを開催しました。HZSさん、三菱総研さん、東洋情報さん、リコーさんなど大勢参加されました。

今度はこれでソフトウェア産業にひとつのインパクトを与えられるのではないかと勝手に思い、何度かミーティングを行いました。そこで、コンポーネントは作る現場が違うと合うわけがない、それをどのようにしてひとつにまとめるかという話になりました。

コンポーネント、つまり部品を集めてひとつの動きをさせるツールが必要になりました。さらに、コンポーネントというものは同じところで作られるわけではないので、分散環境をインターネットでつないで、3D WEBを作りました。

これは、分散されたコンポーネントテクノロジーを、Web上でしかも3Dで扱うというコンセプトの製品です。それをビジネスにするためにはどうすればいいかと考えているときに、九州の木工グループ、ランベックスさんから、工務店と直接、建築図面、仕様書のやり取りなどができるものを作りたいと話があり、工務店や設計事務所、プレカット工場、材木店、材木メーカーや材木商社を結んだ木材サプライチェーン・マネジメント・システムを構築しました。

これはWebをベースにアクセスできるようにしたものです。それが今のWATS*1の原形です。我々は常に危機感を持っており、アメリカのものを輸入したっていつかは"サヨウナラ"されるかもしれない。次にパッケージだけやったって大きなところにかなうわけがない。

じゃあパッケージとなるソフトをもっと使い易くするのはどうしたらいいか、それなら部品ソフト産業というのを育てた方がいい。さらに、遠隔地とどうやってつないだらいいか、それはインターネットというものがあるよと、それで今WATSができた。

そうしたら途端にインターネット時代が到来した。以前は荒柴さんは考え方が先行しすぎだよと言われてましたが、今度は向うから押し寄せてきて、我々の時代が来たわけです。

manufacturing-web.com

石塚 manufacturing-web.comのコンセプトについてお話しただけますか。

荒柴 manufacturing-web.comとは、「ネットワークを利用した製造業における新しいビジネスモデル」を実現するものです。いろいろなことをやろうとしても、違う分野のことは何も知らないですね。

今までまがりなりにもCAD/CAMの分野に携わってきて、CAD/CAM関係のメーカさんとお付き合いしてきましたので、それなら製造業に絞ってインターネットを知っている範囲で確実に使っていこうとmanufacturing-web.comを始めたのです。

石塚 manufacturing-web.comは、ラティスに象徴されるようなCAD/CAMデータのやり取りが、製造業向けのITとして出てくると考えておけば良いのでしょうか。

荒柴 ご指摘のとおり、ネットワーク上でデータを動かしたり、引っ張ってきて融合するという技術は、e-commerceでも同じです。皆さんご存知の大規模ショッピングモールも、WATSの技術を使って当社で作ったのです。これはe-commerceですね。

そういう点ではチャンスがなかったわけでもない。でも考えて見ましたら、自分達が知っているものは、CAD/CAMの分野です。CAD/CAMを使った製造現場の仕組み、プロダクトライフサイクルなど、そこには巨大なマーケットがあるということがひとつです。

挿絵
manufacturing-web.comのイメージ

なじみがあるから安心感がある。そういったコンセンサスで、manufacturing-web.comに入っていきました。

そこで問題になったのが、お客様にはいろいろなCADがあり、違ったファイルを同じ場面で使う場合です。

海外にも日本にもいろいろなトランスレータがありますし、当社にもグルーというテクノロジーもあります。そういう点では、融合しやすくなってきています。CAD/CAMは、製造業の設計部門の中心です。CADは絶対必要なわけです。

もうひとつ、日本の製造現場というのは進んでいますね。非常に厳しいコストで、技術を磨いてきた現場を持っています。こういうところと組んで、BtoB(Business to Business)であらゆる情報流通をWeb上で行えたら、一番強いのではないかと思います。

manufacturing-web.comの中で日本の製造現場に鍛えられれば、世界一になる可能性があると思っています。

石塚 我々も今まで、製造業、特に金型メーカーとともに育ってきました。今のようなお話はかくあるべしという心強いお話とお伺いしました。

これからのソフトウェア

石塚 ソフトの作り方というのが、大きく変わっています。いろいろなところから部品を集めてくれば見事に早くできる。それをアメリカという場でやると調達も安くできる。

そうすると本当にアプリケーションとしてやらなければいけないことだけをきちんとすれば非常に早く良いものができるという気がします。

荒柴 我々は、コンポーネントという考えかたを徹底しました。コンポーネントはいろいろなものを集めて作るということと、もうひとつは、新しいものへの入れ替えが楽なことです。今までのソフトは、がちがちに作られており、なかなか改良できない。コンポーネントを使えば、はずして簡単に入れ替えできます。

我々は3年程前からXMLに目をつけていました。その頃XMLは、世界のスタンダードになるかならないかのときでしたが、我々は世界のスタンダードになるかどうかではなく、我々のやり方に合うかどうかということを考えて、日本で最初に採用しました。

非常に柔軟だということがあったと思うのです。こだわったらだめです。これは自分で作ったから絶対死守すると思ったら、自滅するだけです。これはと思って探すと、そういうツール、コンポーネントはたくさんあるのです。

石塚 使えるツールはアメリカの方がたくさんありますか。

荒柴 良い、悪いは別として、コンポーネントに対するニーズがアメリカには多いのですね。部品ソフトを使っていろいろなものを構築するというやり方が当たり前になっています。ニーズがあれば2~3人でベンチャービジネスとして始めてしまうのです。

問題は、WATSにしても我々が築いたのだから我々のものだとこだわらないことに決めているのです。あらゆるものは部品だと思ってますから基本的には入れ替えます。そうすると非常に早いし楽なわけです。私はそういうやり方をしない限りアメリカには勝てないと思います。

アメリカだけじゃなくて他の国にも。ファモティクでは、こうなればいいという意識を社内でオープンに持ち、フレキシブルに考えるというのが、当たり前になっています。そういう意味では開発のやり方がアメリカ的なのかもしれません。

石塚 我々もロスの会社と話を進め、アメリカで開発しようとメンバーを少しアメリカに移しました。部品を作って組立てる、おっしゃるような形のものに仕上げていこうと取り組んでいます。

荒柴 AutoCADは、マイク・リトルという人がアセンブラで書いたソフトを採用して、Autodeskでパッケージとして作ったものです。技術者のこだわりというのはアメリカにもあります。AutoCADができたときに、次はAutoCADを使ってメカニカルのCAD、建築のCADを自社で作ろうということになった。

確かにCADを作る優秀な技術を持っているかもしれないが、メカニカル、建築のそれぞれの分野には多くの博士がいます。その人たちと競争するのではなく、AutoCADを素材としてオープンにし使ってもらおう、と マイク・フォードと二人で主張をしました。

二人ともマーケッティングマンなのです。むしろマネージャー的な人が向うへ行ってみた方が僕は早いような気がしますよ。AutoCADの場合は、たまたま我々がマーケティングマンだった。彼らの技術は信じてましたが、自分達で何でも作るのは間違いだと思ってました。

また、小さな会社だということもあって、とにかくみんなの力をもらおうと考えたのです。AutoCADのアプリケーションを作って株式公開した会社もいくつもあります。

AutoCADは、パッケージソフトとして非常に長く生きています。必ずしもそれが絶対正しいとは思わないけれども、そういう側面を常に持っていた方がいいのではないかと思います。

IT革命

石塚 CAD/CAMの分野、CAD/CAMのベンダーは、これからどうなっていくのか忌憚のないところをお聞かせ願えればと思います。また、見方を変えて、そういうメーカーの立場から見たときに、IT革命だなんだといって躍らされています。こういうことはやっておいた方がいいよというお考えになっていることをお話いただけますか。

荒柴 今まで、CAD/CAMメーカーというのは、まずCADを作りCAMを作りCAEを作り、それから派生したものを作るというように、バーティカルなんですね。

これからは、どうすればお客様のところでもっと効率よくなるかという話は、ネットワーキングを使った流れだろうと思うのです。

ビジネスの基本というのは、お客様との関係と、ビジネスの場をフレキシブルに提供していくことです。そうすればこのCADもこんなふうに使えますよという広がりになるんじゃないかという気がします。

WATSのベースになった木材サプライチェーンマネジメントの例では、工務店が家の間取りを決め、そのCADデータをもとに、プレカット工場で材料をプレカットし、現場で大工さんが作業をします。

工務店側からみれば、プレカットの工程まで含めて現場で管理するわけですから、ジャストインタイムな材料の要求ができます。現場ではプレカットされた材木を組み立てる作業になるので、大工さんが非常に高い技術を持っていなくても作業ができ、コストの削減が図れます。木材をサプライする側からみると、どれだけの木材を使った家が建つかがプレカット工場をみればわかるので、木材の需要予測ができます。

このようなビジネスの流れは、図面や電話を使った形でもともと存在していたのです。それを、プロダクト・ライフサイクルの中を流通する動的データを、柔軟かつ一元的に最適管理することによって、効果を上げた例です。

これからは情報共有も含めて、いろいろな企業が横につながった形で、全体の効率を上げていけるような仕組みを、モノ作りの中でどう提供していけるかということでしょう。

製造業の中では、データを集中化させてPDMのような仕組みに取り組んでいます。だけどその中に入るデータは、画一したデータ、出来上がったデータ、出来上がったドキュメント、必ず残しておかないといけないものですね。

人物写真

ところが実際の設計では、その裏にあるいろいろな法規や計算した資料なども含めてトータル的にモノができあがっていくという過程があるわけです。WATSには、設計の中に分散しているデータを非常にうまく紐付けできる仕組みがあります。

それをWebを介して効率よく見れるというのが、大きな特長です。いろいろな人達がいろいろな形で必要に応じて見れるような仕組みを非常にうまく作れるというのが一番大きいと思います。

石塚 個々の機能として作ってきたシステムを有機的につないでサプライチェーンマネジメントを組立てると理解すればいいわけですね。

荒柴 だからお客様を脅かすことはないのです。最初から高邁な未来図を作っていきなり入れようとすると多分失敗するでしょうし、抵抗が激しいと思います。

アメリカのハーシーという有名なチョコレートメーカーが、SAPをトップダウンで六十億円かけて導入しました。ところが、機能せず、結局ハロウィンの前にチョコレートやキャンディーを作ることができずに大変な欠損を出しました。

アメリカのソフトというのはどちらかというと覇権主義的ですね。ところが日本の土壌というのは覇権主義は通用しないですね。日本の現場の人は誇りを持っています。だから僕は日本の現場の誇りを理解して、お客様の言葉は生々しい現実だと見ています。

これがビジネスチャンスであるとすると、日本の製造現場の中で、既存のCAD/CAMを使って、いろいろなデータを生かす道はどういうことかというのを考えていくことが、我々がこれから生きていく道でしょう。

ASP

石塚 ASP *2(Application Server Provider)という言葉が新聞にも毎日出ています。現実的には、CAD/CAMがASPという形で実現するのはいつ頃でしょうか。

荒柴 そういう仕組みづくりにトライすることを考えています。CAD/CAM、CAEも含めて、例えば解析のための条件設定を軽いラティスのようなモデルでセットし、セッティングしたものをCADのデータとしてではなくひとつのデータ形式として解析データの条件として戻し、ASPの大きな機能を使って結果を出して、ビジュアルに見せるようなやりとりは考えていきたいと思っています。

石塚 それは当社もぜひやりたいと思っているところです。

荒柴 ラティスのもともとの目的はVRMLのような不正確なものじゃないやりかたで3次元のファイルをうんと小さくして転送できる。しかも簡単にビューイングできるようなものの技術を慶応大学 教授の千代倉氏と話し合って会社を設立したのです。

そして現実には100分の1以上の小さいファイルで3次元は動いているんですね。ただそれ自体がCADの役割をするわけじゃないんですが、最終的なビューワでは、きちんとしたリプロダクションとして、100%同じ物がいくわけですね。

我々のファモティクグループには、そこまでの技術があるのです。すべてのフォーマットが通ってるわけではないですが、ビューワからデータを編集できるところまでの技術は、近々実現できると思います。

*2 ASP:ネットワーク経由でアプリケーション・パッケージの機能だけをレンタルするサービス。ユーザはWebブラウザを使って、アプリケーションを利用するので、ユーザは個々のパソコンにアプリケーションをインストールする必要がなく、企業の情報システム部門の大きな負担となっていたインストールや管理、アップグレードにかかる費用・手間を節減することができる。

ファモティクの目指すところ

石塚 EIP(Enterprise Information Portal)要は企業の中で立ち上げて次にコミュニケーションポータルなものにつなげていく。逆にユーザーからすれば、我々もそういうことを考えなきゃいけないと思いますので、これからファモティクさんの目指すところをお伺いしたいと思います。

荒柴 モノ作り現場に対して我々がやれることは、いろいろなところにあるいろいろなデータ、いろいろなシステムをできるだけ上手く活用する形をご提供することです。そのために、企業の中でいろいろな所に散在しているデータをうまく紐付けして、活用できる仕組みを作っていきたいと考えています。

それができれば次のステップとして、資材の発注に使おう、メンテナンスにうまく活用しようということがでてきます。そういうことをひとつの形としてまず立ち上げたいというのがひとつですね。

さらに次のステップでは、ほかのところとやりとりがでてきて、コミニュケーションをとる仕組みが必要になります。それをひとつの形としてコミュニティポータル的なものにして、データがうまくやりとりができるようにしようというのがベイクルーズの考え方です。

ベイクルーズというのは、企業の中にひとつひとつポータルができたときにその間をうまくやりとりのできるような仕組みです。企業の中で情報が流れていく流れ方と、船が港に寄るようなイメージを重ね合せてファモティクのコンセプトとしています。

ファモティクのひとつの方向付けということです。何回も出てくる話ですが、いきなり高尚なところでものを考えて何かをやっていくというのは非常に難しい。それよりもまず一歩上げましょう、その上に次の要求を重ねていきましょう、と。

我々はコンセプトありきではなく、まず地道なところできちっとした形を作りましょう、そのことを有効に活用するための仕組みとしてトータル的な物の見方としてベイクルーズをというイメージを描いた上で、ここからステップアップしていく、という考え方です。いつも我々が闘いになるのが、コンセプトの世界と現場の世界です。

今のいわゆる全社的に分散したさまざまな形式のデータをひとつにまとめ、その中でやりとりするというのは、現実に長い間製造メーカーは紙で苦労してやってるのです。それをすべてエレクトリックデータとしてやっていこうということなので、そんなに高尚な話ではないのです。

石塚 要は、まず企業の中のポータルを作り、データをうまく結び付けてあるインフラになったときに、ソフトの話だなんだと今巷で言われてることは自然とできると考えたらいい、ということですね。

荒柴 今やってることをエレクトリックIT的にやるということなのです。本当にそれだけなんですよね。アメリカのトップレベルはすごいけれども現場の人はかなりラフなレベルです。

そういうところで実際に現場がITで動かされているという事実は何を意味するかというと、そんなに難しかったらできないということだと思うのです。日本の現場の人達は大変レベルが高いです。

その人達がIT化されるのを恐れることは何もないです。アメリカは素晴らしくIT化が進んでいますが、アメリカの全ての人、現場で働いてる人が大変優秀なコンピュータサイエンティストかというと、そうではないでしょう。

HZSへ

石塚 最後に、CAD/CAMを主にやってきた当社が、こういうITの世界でどう進んでいったらいいか、またアドバイスなどいただければと思います。

荒柴 あまり難しく考えない方がいいと思います。CADを作り上げるのだって大変だったわけですよね。それをCAD/CAMという中で習得し、作り上げてきたのですから、それから見ればずっと楽ですよ。

現場をどう良くするか、ITで良くなるんじゃなくて、現実にそれをIT化した上で現場の方が良くなっていくということです。IT化するということ自身は恐れることでもなければ難しいことでもないのです。

基本的にはHZSさんの持ってる信用、これがキーだと思うのです。だから売る方が興味を持って理解すれば、そんなに難しくないと思いますし、お客様も頼ってくれますし、プラスだと思いますね。

石塚 わかりました。今日は、大変貴重なお話をお伺いいたしましたので、参考にさせていただき、お客様にいろいろなご提案をしていきたいと思っています。

これからもご指導も含めて是非ともよろしくお願いいたします。本日はお忙しいところをどうもありがとうございました。