人とシステム

季刊誌
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No.23 | トピックス
遊びの効用(3)「いんちき歯車よい車」
東北大学名誉教授
工学博士 酒井 高男

「遊びの効用」をテーマに4回シリーズで酒井先生に執筆いただきます。今回はその3回目です。


大学は航空学科を出たというのに、一年足らずで日本は完敗した。その結果航空学科は廃止され、日本中の航空機工業も禁止された。これが敗戦国の現実である。何よりの緊急課題は、一億国民の食糧確保である。しかし狭い国土で農地に限りがあるとなれば、唯一の頼りは貿易振興であると考えられた。

新生日本の進むべき道として私たちの選んだのは、欧州の小国ながら、精密工業により平和と繁栄を楽しんでいるスイスを模範とすることであった。

戦時中、航空計器を少しばかり勉強したということもあり、時計の精密大量生産法の研究委員会に加わることにいささかの抵抗もなかった。

メンバーの大半は大学関係者であった。そして時計など学んだことのない人が多かった。委員会がスタートして間もないころ、時計会社の技師から時計の概論について聞くチャンスがあった。その講演を聞いて驚いた。時計用の歯車は、大学の講義とか、機構学の教科書ではサイクロイド歯車だというのに、それとは全く違っていた。歯本歯形は半径線であるからそれは確かにサイクロイドの一種である。ところがそれとかみ合う相手歯車の歯先歯形は単なる円弧ですましている。これでは機構学で教えている正しい歯車のかみ合い条件を満たさない。いわばひっかかって回るだけのいんちき歯車である。しかし現実には、スイスの時計歯車規格がこのようになっている。これは学者連中にとって大問題である。

時計会社の技師の講演が終ったとき、大学関係者から一斉にその理由の説明が求められた。技師は困惑された顔で答えられた。「分かりません。スイスの規格がこうなっているのです。このような点についても、本委員会で取り上げてほしいのです。」

私は早速この問題に取り組むことにした。今の時計と違って、当時の時計はすべてゼンマイ巻きで、歯車も減速でなく増速であった。おまけにその小さいことといったら、例えば婦人用腕時計の歯車などでは、車の外周が何となくぼやけて見える程度で、そこに歯があるなどとは、肉眼では気づかぬ程であった。こんな小さな歯車の歯を、正確に作るのは容易でない。だから歯の形についてあまり高度な要求をしてみても、それは無意味だと気がついた。

挿絵

大体、人間の造ったものに完全を期待するのは無理である。時計用歯車に必要とされる役割を考えることだ。まずその特徴はきわめて低速であること。また各瞬間での速比ではなく、トータルとしての速比すなわち歯数比で十分だということである。となれば、生じうるさまざまな誤差に対して、学校で教える学問的な幾何学上の精度はかえって不利なことがわかる。そこで作ったのが、下手な川柳もどき、「時計ではいんちき歯車よい車」である。

学校を出たばかりのときに得たこの教訓は、どんな仕事に対しても通じる柔軟な姿勢の大切さを教えてくれた。要は最終的によい結果を得ることである。時計の場合であったら、時刻指示の精度がよく、ゼンマイの一巻きでなるべく長く保つようであればよい。別に教科書通りである必要はない。どんなに理論的に優れていても、品物になしえぬようでは、工学としては落第である。

やがてそれから十数年後、燃料用歯車ポンプの歯形について相談を受けた。頑張ったら二週間ほどで何とか満足できるものに到達した。そして間もなくチャンスがあって、その種の歯車ポンプで有名な米国のS社を訪ねることができた。同社の技師の言葉によれば、企画から完成まで約二年間が必要だったという。私はその理論歯形を得るのに二週間ですんだと言った。技師は「それはナイスレポートだ」と褒めた後で、「しかしそれからが大変だ。物にするのは容易でないよ」と答えた。

そうに違いない。これなども若い日に得た貴重な教訓である。

さて次の図を見てほしい。これは何の図であろうか。そう問われたとする。読者の方々はどのように答えるのだろうか。入試に合格したばかりの学生だったら、何か正解があるのだろうかなどと考えるかも知れない。何に見えるかと聞かれたのだから、自分がそのように見えるもので答えたらよい。

挿絵

私は何だか列車の中にいるような気がする。天井が丸くて、右側が平らな窓のような気がするからだ。今度はこの図を時計まわりに90°回してみよう。

今度は何に見えるのだろうか。私は何だかトンネルの中にいるような気がする。右側の細い道は道路を点検する人のための通路である。更に90°回してみよう。今度は急に雰囲気が変る。これはどう見ても大都会の地下に掘られた下水道に違いないなどとなる。更に90°回してみよう。天井が平らで窓側に丸みがつく。私は飛行機に乗った時の感じを思い出す。

以上は、私の得た感じを述べたまでである。これが正解だというのではない。初めに断ったように、この問いに正解などあろうはずはない。各自の見たところがすなわち答えである。

私がこんな図に思いついたのは、長い間私の担当科目であった機構学という学問の特徴を抽出して得た結果である。

機構学は機械のからくりを扱う。からくりの動きを観察すると、各要素間の相対運動は全く変らないのに、どの要素を固定して考えるかによって、機構の動きの様子が全く変るのに驚く。

いわゆる固定要素の変更による、機構の交代がこれである。発想の転換による新しい価値の創出につながるこの物の見方は、あらゆる生活の場面で重要である。そう考えてこの図を描いた。

この図をテーブルの上において、四人が四方から眺めたとする。多分四人が四人とも、別の印象を持つにちがいない。

この図は、自分の立場からしか物を見ず、自分の判断に固執することの危険性を指摘してくれないであろうか。私はこの図を見ながらそのように考える。

長短の差こそあれ、私たちはそれぞれに自分の歴史をひきずって生きている。私たちが何かを判断するとき、自分の持つ過去の経験との関係で判断するのは当然である。しかしそれのみが唯一最高のものではないとの自覚を持ちたい。自分と異なる意見も当然ありうる。

自分に反対する相手の立場に、身を置きかえて考えたとき、事態がまるきり違って見えてくることもありえよう。機構学からそのようなことを学んだ。

発想の転換にもつながるこの考え方は、精神的ゆとりすなわち"遊び"の中でこそ可能である。