人とシステム

季刊誌
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No.38 | 社長インタビュー
日産ブランドのデザイン戦略
人物の写真 日産自動車株式会社
デザイン本部 モデル開発部
部長 山下 敏男 様

山下 敏男 様プロフィール

人物の写真
山下部長とZ32のスケッチ
1978年撮影
1949年 福岡生まれ
1968年 福岡市立博多工業高校卒業
日産自動車株式会社入社
デザイン開発に従事
1980年 フェアレディーZ32のデザイン
2002年 "TITAN"のチーフデザイナーとして活躍
2003年 デザイン本部 モデル開発部 部長
人物の写真
HZS 取締役社長
福武 映憲

福武 御社は、1999年に全世界で持続的に利益を出し成長し続けるための包括的な再建計画「日産リバイバル・プラン」を発表され、「デザイン重視の車作り」の経営戦略に取り組んでこられました。

また、2002年5月には「日産180」*を発表され、2004年度は過去最高の業績を達成されました。

日産自動車株式会社(以下、日産)のデザインの第一線で活躍されてこられた山下部長に、日産の復活をデザイン戦略を中心にお伺いしたいと思います。


*日産180
1)2004年度末までにグローバルでの販売台数を100万台増加
8)連結売上高営業利益率8%を達成 - 2002年度10.8%達成
0)2004年度末までに自動車事業実質有利子負債 0(ゼロ)を実現 - 2002年度 0(ゼロ)達成

強いブランドの確立

福武 自動車を購入するときには、予算内で、性能と、デザインの二面で、どの車にするか決めるのではないかと思います。

山下 基本的にはそうです。それと購買者の心理には、やはりブランドがついてきますね。皆さんの中にはブランドに対する意識がかなり強くあるのではないでしょうか。

私達がやろうとしているのは、日産のブランド力を世界的にいかに高めるかということです。

福武 ヨーロッパの車は、車種が違ってもどのメーカーの車だなとわかりますが、日本のメーカーさんの車は、我々が見ても、どこの車だかわからないなと感じます。日本は車種が多すぎるのかもしれませんね。

山下 BMWやメルセデスは、この時期はこのデザインの方向にと、特徴的に方向付けをしています。彼らにはブランド推進のチームがあるようで、新しいデザインは、ブランドとして統一性があるかどうか、コンシステンシーがあるかどうか見るらしいのです。

BMWは、新しいデザインリーダーに代わって、一気に今の路線に出ました。挑戦ですよね。以前は知的でジェントルな感じだったのに、革新的で、先進的な匂いがしますね。

福武 日産自動車さんもセダン型の車を思い浮かべてみますと、スカイライン、フーガ、セドリック、シーマは、イメージが似ていますね。

山下 日産は、欧州メーカーのように、同じ方向のデザインでブランドを構築することは考えていませんが、デザインには一貫性が重要であると考えています。例えば日産デザインでは、フロントデザインのビジュアルアイデンティティを2種類設けています。

ひとつは、ラグジュアリー系に、Double Archと言っているものがあります。もうひとつは、セダン系に、Flying Grilleというものを適用しています。いずれもCIバッジを取り囲んだ特長的なデザインとなっています。シーマ、フーガ、スカイライン、ティアナなどに適用しています。

これらは時間がかかるとは思いますが、一貫したデザインで進められていますので、着実に日産ブランドのアイデンティティーとして、お客様に定着する方向で進んでいます。

デザイン戦略

福武 ここ数年、日産は絶好調で、いい車が出てよく売れています。そのことに貢献しているのは、デザイン的要素が大きいと思います。山下部長からみて、どういうところが変わったからだとお考えですか。

山下 2つあります。ひとつはデザイン戦略です。

世界をリードするデザインを通じ、強固なブランドアイデンティティを確立すること。』これがデザインのゴールです。

世界をリードするデザインを通じ
強固なブランドアイデンティティを確立すること
挿絵

また、デザインポリシーも『Clear(明快)/Creative(創造的)/Consistent(一貫性)』と定義していますし、お客様の満足の追及(Customer Focus)は、デザインの基本になってます。デザイン戦略の構築は、なかなか困難で時間がかかるものですが、我々はそれを作りました。デザインに求められているのは、「これが日産」という明快な主張と、一貫性を持った魅力的なデザインを創り出していくことです。デザインで常にお客様の期待を超えたいですね。

もう一点はやはり、デザインのトップを中村史郎常務が務めているという点です。執行役員でデザイナーですから、我々のデザインをちゃんと理解し方向付けしています。現場がやりやすくなっているわけですし、自分たちで責任を持って提案できるようになったということが言えます。

【デザインのメッセージをお客様に届ける】

福武 責任をもって提案するというのは、生産に移ってから後の販売促進などについてもですか?

山下 そうです。販売の方法、テレビ広告、ポスター、カタログまで、デザイン活動の一部と捉え関わっています。

中村さんが来られて、新しい日産のデザインのやり方が、デザイン本部という枠を超えてどんどん広がっていき強化されました。お客様に車が届くまでのあらゆる過程において、できるだけのことをデザインでは行なっています。

例えば以前も、カタログのチェック会などを行っていましたが、デザイン部の意見はあくまでも参考意見でした。今は、デザインがリードをして、ある意味戦略的に作られるようになりました。スタジオへ行って写真撮影するときにも、カメラマンにコンセプトを説明して、撮影するビューなどの指示もします。

販売促進のための営業マンの説明会も開催し、新車のデザインのコンセプトについて説明しています。また、新車発表会の会場や企画、演出なども行います。こうすることで、車のデザインの狙いをきちんと伝え、ブランドのトーンに一貫性を伝えることができるのです。

【みんながうまく動き出した】

山下 ゴーンCEOは、「日産の人は素質があって、みんな努力家で頑張る」と言うのです。それは間違っていないと思います。今までもみんな頑張っていたのですが、仕組みやマネージメントがどこかちぐはぐで、みんな良かれと思ってやっているのに、錆付いたように動いていなかった。

そんな状況の中に、ゴーンさんが来られて、いろいろなマネージメントの手法を導入されました。もちろん我々も勉強してきました。さらに中村さんが来られて、新しい日産のデザインの仕組みを考えられました。そうすると今まで錆付いていたところが、するっと動き出したという感じがしています。

さらに、デザイン力の強化という意味では、国を問わずマルチカルチャーで、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど、いろいろな国のデザイナーが仲間になってます。「日産っておもしろそうだな、日産に行けばいろいろやれるかもしれない。」と、世界中の人がそう思ったのですよ。優秀な人が集まっています。今まで以上にニッサンデザインアメリカやニッサンデザインヨーロッパも活気付いています。

福武 そうなると、やはりトップの力というのは大きいということですね。

チーフデザイナーからモデル開発部長

【フェアレディーZ32のチーフデザイナー】

山下 私は日産に入ってずっとデザイナーの道を歩んできました。フェアレディーZ32のデザインを担当しました。開発においては、チーフ・デザイナー(CD)としてデザインをし、プロジェクトを引っ張ってきました。

挿絵
Z32のスケッチ

当時現地発想といって、デザインを企画するにあたり、アメリカ西海岸を車で走り回りました。スポーツカーの似合うこの国でヒットするデザインをしたい、と当時強く思いましたネ。スケッチをしながら、欧米の車のデザインを勉強しました。しかし、日産の初代のフェアレディZのように、日本本来の良さを持った、アイデンティティーあふれるデザインは、やはり我々の目標だったのです。しかし、我々は当時すでにそれを超えてゆくデザインをすることを義務付けられていたと思います。

そのような、現地発想の中からワイド・アンド・ローというスポーツカーの基本イメージを決定しましたし、いつまでも沈まないカリフォルニアの夕日に映えるボディデザインは何かと色々考えました。楽しくネ!!結果、Z32のプロポーションと滑らかだけども凛と張りがあり、日本的なテイストまで表現した日産のスポーツカーが誕生したのです。

しかし、車はデザインだけではモノになりません。法で定められた安全性や、その時代の製造技術とのバランスの上で成り立ちます。私はZ32のデザイナーとして、設計や製造の技術者にデザインのポイントを訴え、技術とデザインの高いレベルのバランスを要求しました。デザインには妥協があってはいけないのです。そのせいか、提示された条件にいつも「いやだ!いやだ!」ばかり言っていたみたいで、その当時の私のあだ名は「ヤダ下さん」だったそうです。これは、8年ほど後になって聞きました。

おかげさまで、Z32は欧米でも大変な評価を受けることができました。記者発表のとき、ある外国の記者の方から、この車は「クラシック・カーになる要素を持っている」と言われました。古いだけではだめで、歴史に残るような車しかクラシック・カーとは呼びませんね。彼は、『歴史に残る車の予感がする』と言ってくれたのです。とても嬉しく思い、今でもその時の情景が思い出されます。

【フルサイズトラックシリーズのマネージャー】

2000年5月に、サンディエゴのNDA(日産デザインアメリカ)への出向を命ぜられました。私は、もともとアメリカが好きでZ32の開発の後も何度も渡米してましたが、本格的に出向になり、期待に胸を膨らませアメリカに向かいました。

挿絵
フルサイズ・ピックアップトラック
「タイタン」
人物の写真
タイタンプロジェクトのメンバー
上段中央 中村常務、中段 山下部長

当初私の肩書きはシニアデザイナーでしたが、丁度始まっていたフルサイズトラックシリーズのマネージャーを担当することになりました。直接デザインするマネージャーではなかったのですが、アメリカの地でとても重要なプロジェクトに参加できることで、とても興奮して参加させていただきました。

英語での仕事は、これまでは考えられない私でしたが、おかげさまで何の問題も無くどんどん仕事が進んでいきました。

デザインの決定後は、デトロイトのNDA-FH(ファーミントンヒルズ)に開発の舞台が移ります。日産のR&DがFHにあります。そこで最終生産に繋げる開発をするのです。ココでは、プロジェクト全体を見るチーフデザイナー、PCD(プロジェクトチーフデザイナー)というタイトルになりました。月の殆どをデトロイトで過ごす日々が続きました。そのころ我々は、サンディエゴに生活の基地を置いていましたし、妻はサンディエゴに一人でいましたが、気候が良いのと友人がいたせいで落ち着いていましたので、私も余り心配することなく仕事に打ち込み、開発もほぼ最終に向かいました。

ところが、2002年11月に中村さんに呼ばれて、「今度、日本に帰ってきて、モデル開発部の部長をやってよ。」と言われて、目が点になりました。

【デザイナーからモデル開発部の部長に】

福武 山下部長は、デザイナーですよね。

山下 そうです。だから、目が点になったのです。デザイナーがモデラーの部隊のリーダーになるのは、非常に難しいと思いました。むしろ、私には無理だと思ったのです。いつも少人数のチームのリーダーでしたからネ!

毎日、アイデアや形をどうしようか、このデザインは誰にウケるのか、そういうことばかりを考えていた人間です。それがいきなりモデラー工数/端末台数どうしましょうかと言われても「何それ?」、ICEMって言われても「ICEM...ふ~ん」という状況でした。そんな中から私の今の仕事は始まったのです。

まず、モデル開発の仕事がどんな感じなのかをみんなに聞きながら、理解を深めていきました。モデル開発部でも、みんなが私を理解してくれましたし、私も現場が長かったので、みんなの言うことも理解できたのです。したがって、コミュニケーションはすごくとりやすかったのですね。そういう意味では、中村さんに「山下さん、やれるよ。他にいないんだよ。」と言われたことが、徐々にそうなんだなあと思うようになりました。

【デザイナーとモデラーの壁をなくす】

山下 モデラーというのは、日本の企業では技能職と呼ばれてます。どこのメーカーでも技能職と技術職に分かれていて、待遇の面でいくつか違いがあり、給与もです。期待されるクリエーションの発揮という点では同じなのに何か違っている。我々はそういうところを、中村さんを先頭に社内で働きかけ、ようやく壁を無くすことができました。昨年から人事制度も変えました。これで、グローバルに通用するモデル開発のまずは形ができたわけです。

デザインで世界をリードするには、開発の組織や仕組みから変えることが大切なのですね。学歴、国籍に関係なく、貢献に相応しい給料をもらう。従来、年齢がいくとある程度給料が上がる、いわゆる年功序列制の構成で、良くも悪くもバランス?が取れていたわけです。ですから、若くてフレッシュなアイデアを持っていて、素晴らしいデザイナーでも、先輩のほうが給料が高かったのですが、こういう日本的なところも良い方向に変わりました。とにかく、デザイナーとモデラーの壁はなくなりました。

モデラーは、これまで以上に評価もされますし、結果も期待されることになりました。責任と権限をモデラーが持ったのです。日本の企業の中では、とても大きな進歩であり、胸を張ることができます。その分頑張らないといけません。

デジタルの活用

【お客様の期待を超える】

福武 今年出されたNOTEは、開発期間が10.5ヶ月とありましたが、デザインが終わって、量産車が出るまでの期間ですね。山下部長のところでは、デザインをして、モデルを作り、デザインを確定するという期間は、やはり短くなってきていますか。

山下 昔よりは確実に短くなっています。短期間での開発はもちろん良いことですが、でも短くするということだけが、必ずしも正しいことではないと思います。我々がやりたいのは、「どういうブランドが良いのか、お客様がどういうものを喜んでくれるか」ということが一番だと思うのです。開発期間を短くして満足のいくものができず、お客様が買ってくれなければ意味がないですから。我々がやろうとしているのは、「お客様に対して何が良いことなの?」これの追求なのです。お客様の満足度の向上です。

期間短縮が良かったかどうかは、お客様が決めることで、結果なのです。決してメーカーで決めることではありません。期間短縮の効果が、お客様にどう伝わってゆくか、ポイントはそこにあります。

デジタル化以前は、ある程度の現物のモデルができないと、お客様にクリニックで意見を伺うこともできませんでした。自分たちも見ることができない。でも今なら、絵があれば、3~4日でデジタルモデルを作って、画面の中で走らせて、「ああこんな風になるのか」と見ることができます。これはデジタル化の効果だと思います。

どうすれば高付加価値の商品ができるか、といつも自問自答しています。お客様の期待以上の物を作る。それが何かを探るために、デジタルのツールはいくつも準備しています。

【商品性評価】

福武 クリニックというのはどういうことでしょうか。

山下 クリニックは商品性の評価ですね。

クリニックというのも何種類かあります。ある程度デザインが決まって、オプションや値付けをする場合にも、お客様に車を見てもらってリサーチします。

また、コンセプトがあっているかどうかをリサーチするときは、デジタルモデルの段階でお客様の反応を伺ったりします。

単に、具体的にお客様は何がほしいかを聞くのではなく、「好きかもしれない?」「嫌いかもしれない?」など、お客様がどんな風に思っているかを、なんとなく咀嚼するというのがクリニックの目的なのです。

例えば、モーターショーなどにコンセプトモデルを出して反応を伺うことがあります。クリニックとは言えませんが、事前に新しいコンセプトを確認し、反応によっては早めに製品化されるものがあります。最近ではキューブがそうですね。ジュネーブショーに出しました。

将来を考察する意味でクリニックは有効な手段といえます。しかし、クリニックには正確な設計が必要で、すべてをお客様から聞き出すことは不可能であることを、理解しておく必要があります。

デシジョン・プロセス

福武 デザインセンターでは、パワーウォールを導入され、フルサイズで車のデジタルのデータを見ることができるのですね。

山下 パワーウォールは、横幅6mの大型スクリーンで、実物大の車の3Dイメージを表示します。コンピュータでデザインデータを出力し、車両の位置や方向を操作しながら、デザインの即時分析ができます。世界5箇所にデザインスタジオがあり、日本のCBIを除きすべてにパワーウォールを設置しています。

挿絵
パワーウォールに映し出された実物大の車の3Dイメージ

重要なデシジョンの会議では、きちんとデータを作りこんで、あたかも車が走っているかのように走行シーンのデータを製作し、このパワーウォールで評価しデシジョンの参考にします。

日産は、デザイン開発の各節目ごとに評価ツールを決めています。これは大事なことなのです。数百億の投資をする開発の初期に、デザインの方向を決めなければいけません。経営の立場から言えばとても難しいことです。決めるには、決められるための情報が必要で、それがあるから決まるのです。特にCEOを含む最高決定会議では、最高の情報を準備することが大切です。デジタルは、そのツールの中でも重要な位置を占めています。

福武 御社がよくなったことの一つに、決めるべきときにきちんと決めることができるようになったということですね。

山下 以前から決めるときにはきちんと決めています。違いがあるとすれば、決めた内容の深さではないでしょうか。今はプロジェクトのコンセプトから設計/製造/販売まですべての切り口で、「目標に沿っているか?或いはお客様の視点になっているか。」などなど、また「他社と比べて、どういう形でアドバンスしているのか。」このようなことが、きめ細かく論議されます。ツールは、これらの論議が間違うことなく行えるようになっていなければいけません。そういう意味では、論議の深さと論議する情報の正確さはとても重要ですね。

例えば、コンピュータのCGでレンダリングを準備したとします。どれだけ正確にどれだけ正しく絵として見せられるか、これが大切ですね。絵としては美しくてよかったけれど、本物とかけ離れていて、実際の実物はだめだった、では困りますから。パワーウォールのCGも本物も同じように見えるということが、最低の条件として求められるわけです。

デザインの質が格段に向上

福武 実際のクレイモデルの作成や、いわゆるフィジカルモデルを作るという量は、デジタル化が進む中で減っているのでしょうか。

山下 正直なところ首を振ってしまいます。デジタル化を進めるに際してモデルの量を減らすことは、デジタル化進捗判断のバロメーターであり、重要だと思いますが、あまり減っていません。増えているケースもあります。この状態は、必ずしも良いこととは思ってませんが、私はけっして悪いことだけとも思っていないのです。

良いもの作ろうとしたときには、やはり試行錯誤が避けられません。デジタルのツールが入ったからいきなり「明日から物を作るのはやめよう」とはならないですね。

デジタルのツールやパワーウオールを購入するときは、モデルがこれから減るだろうと予測し導入します。計算的には減る方向ですが、実際の現場で日々開発を進めていくと、色々難しいことが出てくるのです。

我々はこれらのデザイン開発を、デジタルリードデザインと称しています。従来のデザイン開発とかなり異なります。つまり従来とは、スケッチを書き、モデルを造り実際に手で触って開発してきた手法ですが、それに比べ、スケッチを書いた後はバーチャルで確認する手法がデジタルリード開発なんですね!

これだと、今まで多くの経験を積んできたモデル造りの手法で活かされたノウハウが活かせないのです。まったくノウハウが活かせないとは言いませんが、かなり異なるデザインの評価手法などを身につける必要を迫られます。これは、かなり慣れない状態でデザインしなければならず、無理を強いられることは間違いないのです。

このような中で、デザイナーもモデラーもかなり努力して、デジタルモデルを活用し、デザインの試行錯誤の回数を増やしてきました。設計もデータを基準にした検討の奥行きが深くなっており、質が上がってきています。例えば、当初の計画のようにモデルを作る数が減っていなくても、質が上がるという点でWelcomeなことだろうと思います。

自動車の開発は戦いみたいなものです。リーズナブルな日程の中で、今までよりも1.5倍も考えられたから、良いデザインができたね、というのが一番いいわけで、そして、お客様に喜んでもらえるというのが一番良いでしょうね。新車が出て最低でも4年間は売りますし、お客様は、10年ほど乗られるわけですから、本当に質の良いデザインを提供しなければなりません。

デザイナーの仕事というのは、常に完成状態を想像しなければいけないのです。最初は絵でいろいろな顔を考えながら、同時に完成状態を考えているのです。使ったらこうなる、走ったらああなると考えているのです。

常に新しいことをやろうとしています。新しい提案にはリスクがあるのですね。逆に、リスクの無い新しい提案など、ありえないのではないでしょうか。家庭でTVでモノを見るとき、現実にあるモノを画面で見る場合は、大きさ感も納得がいくのです。これは、『見たことがある、それを知っている』からです。

でも、まったく新しいモノをデザインしたときは、いくらデザイナーでも、デジタルモデルをCGで見ても納得いかないのです。デジタルと実物のギャップが埋まらないのです。だからみんなモノが見たいと思うのです。新しいデザインをしたときは特にそうですね。今後もギャップを埋める努力は十分する必要があります。

福武 試作がゼロというのはないと思いますが、今までよりは回数が減っているのは事実ですよね。

山下 将来的には、今よりも減ると思いますね。

今回のNOTEでも、従来よりかなり減ってきています。

福武 30年ぐらい前の車と、現在の大衆車であるマーチを比べても、車のレベルがまったく違いますね。

山下 昔と比べ、決定したデザイン形状は、Class-Aデータと呼ばれる高精度のデータとして定義され、設計や次工程に渡します。これは金型までつながっているデータですから、我々の定義したデザイン形状が正確に製品のパネルにまで表現されています。昔もデータ化されてましたが、現在のほうがより精度が高くなっています。データ精度の向上にあわせ、製造品質も向上してますから、社内のあらゆる部署で高いレベルの車作りができるようになってきました。感性品質を管理するチームもデザイン本部にはあり、質感/素材感/音なども管理しています。

また、新しいデザインセンターの一部が今年の7月に完成します。先日、天井の照明などの中間チェックを行いました。そこにマーチの生産車を持っていって見たのですが、デジタルでシミュレーションしたときと全く同じような感じで、蛍光灯が映りこんでいました。パネルの質がすごくいいのです。デザインのデータで確認した状況と同じ様にハイライトがきれいに入っていました。デザインも良いですが、製造品質の良さも再確認できましたね。

世界一の設備、仕事の進め方、人

山下 先ほど言いましたが、新しいデザインセンターを厚木の日産に建築中です。プロジェクト・イマジネーション・ファクトリー"PIF"と呼んでいます。

"PIF"は世界一の設備、世界一の仕事の進め方、そして世界をリードする人を集めた、デザインで世界をリードするための基地なのです。『日産のデザインは良くなってきた』とお褒めをいただくことも増えてきましたが、勝負はこれからです。建物も設備も良くなってきています。残るのは人の質だと思います。

昨年、モデラーにプロダクト・チーフ・モデラー(PCM)という資格を作っていただきました。プロジェクト全体のモデリングの総責任者です。今までは、ひとつのプロジェクトに責任者が複数いて複雑でしたが、PCMを設定したことで、モデラーの力を無駄なく集中することができるようになりました。

一番の良い点は、モデラーの業務領域が拡大したことです。結果、やるべきことは増えましたが、プロジェクトの牽引役となって、プロジェクトに今何が求められているか、積極的に考え動ける体制ができました。私たちは新しい"PIF"に建物/設備だけでなく、このような人の活躍が図れるような、総合的な相乗効果を期待しているのです。

福武 日産車体のデザイン部を機能統合されたのもそのような検討の結果でしょうか。

山下 さらなる効率化、リソースの集中がメインです。これまでも、日産車体のデザイン部とは一緒に仕事していましたが、今回は完全にひとつの組織になったわけですから、"PIF"の新しい体制でやろうとしていたことを、違う視点で提案していただいています。

統合のシナジー効果が引き出せるとてもうまいタイミングで一緒になったと感じます。トップはそれを狙っていたと思います。最初は驚きましたが、タイミングは絶妙ですよね。

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福武 NOTEがICEMのフル適用の1号車だと伺っています。

山下 ICEMでClass-Aデータを作る。ICEMを使ったはじめてのプロジェクトですね。苦労はあったと思いますが、現場のモデラーの努力で新しい道具を使いこなしていきました。もともとインハウスのデザインCADを使っていまして、そのうちの何人かがキーマンになり、リードしていったのです。

デジタルをうまく活用しながら進めるというマインドはあったので、なんとか頑張りながらやっていったということはあるのでしょうね。

福武 最後にHZSへのメッセージをいただけますか。

山下 ICEMを使ってClass-Aデータを作る作業があります。これはとてもスキルが必要な作業です。立体のセンスも必要です。

ICEM Surfに期待することは、他のデジタルのツールも同様ですが、どうすればデザイナーの創造性をさらに上げられるかということが、一番のテーマではないでしょうか。

ICEMで、クリエーションの上流にもっと入っていけないか?私はすごく欲張りなんだと思います。上流でデジタルツールを活用して、生産性を高めていくようなことをやりたいですね。

デザイナーが考えたことをすぐ形にすることができる。先ほどから少し述べていますが、デジタルリードのデザインはこれからも進歩するでしょう。それには、デジタルツールの進化が不可欠です。ツールが良いからデジタル化が進む。そのようなツールをどしどし開発してください。そして、デザインの上流から下流まで一気に同じツールで通しで仕事ができるのが理想でしょうね。

ICEMには、もっと創造性に特化した仕事ができるようなシステムになってほしいと思います。ICEM Styleは、ひとつの突破口になると思います。

最後に、先ほど30年前の車と比べ、現在の車の進化の話がありました。進化は止まりませんね。とにかくブレークスルーした先進的なソフトの開発を期待しています。

福武 私どもも、ICEMがそのような形で使っていただけるレベルに早くしなければいけないと思います。このことは、ICEM社もよく理解していますし、今年ICEM社はダッソー・システムズともゴールドソフトウェアパートナーの提携をしましたので、今まで以上に期待を超えるソフト開発力を発揮できるのではないかと思っております。

本日は、貴重なお話をお伺いすることができ、どうもありがとうございました。