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No.68 | 社長インタビュー
震災からの復興 ― 株式会社ヤマニシのご紹介 ―
株式会社ヤマニシ 取締役 技術部長 長倉 清明 様 株式会社ヤマニシ
取締役 技術部長
長倉 清明 様
株式会社ヤマニシ 技術部 船体設計課 課長代理 阿部 拓也 様 株式会社ヤマニシ
技術部 船体設計課 課長代理
阿部 拓也 様
NDES 代表取締役社長 木下 篤
NDES
代表取締役社長
木下 篤

木下 石巻で頑張っておられる造船会社があるということをご紹介させていただきたく、今回のインタビューをお願いいたしました。

御社とは、平成8年にGRADE/HULLを生産設計の道具として導入いただいてからのお付き合いになります。

御社の事業や震災後の取り組みなどお話しいただければと思います。

漁船から内航船、外航船へ

漁船実習船
漁船実習船
漁業調査船
漁業調査船
フェリー船
フェリー船
LPG船
LPG船
自動車運搬船
自動車運搬船
バルクキャリア船
バルクキャリア船

木下 まずは、事業概要からお話しいただけますか。

長倉 創業は大正9年3月で、藩制時代より米積出港として東廻り航路の中心となっている石巻港に設立されました。

創業以来、変化する市場に対応すべく、たゆまざる研鑽と努力によりお客様にご満足いただける最新の各種船舶・構築物等を提供させていただいております。

創業当時から昭和40年代までは、各種漁船を多数受注し、船型、漁労法の進歩革新に適した新鋭船を続々建造してきました。この石巻に本社工場を建てたのが昭和48年です。

木下 漁船といっても大きいですね。

長倉 トロール船です。国内で400~500トンタイプですね。中でも北洋転換船として開発した349G/T型スターントローラー(新測度279G/T)は、当社の代表船のひとつとして名声を博しております。

ただ平成になってからは漁船の建造も減り、平成6年に作った民間の漁船が最後です。

昭和50年から東南アジア向けの5,000G/T未満の部材運搬船を商社経由で建造したのが、貨物船への転換です。現在は12,700G/T船台を中心に各種貨物船を建造しております。

昭和50年の前半は、ドイツのジャーマンフラッグの船で国内の中小造船所はかなり痛い目にあい、当時750人いた社員を3分の1の250人に減らしたそうです。

私は昭和51年に入社し、設計に配属になりましたので、入社して2年ぐらいは1カ月の残業が150時間を超える状況でした。ひと月に日曜日1回しか休めないほど作図に追われる日々でした。

昭和50年代後半には内航船であるフェリーを建造するようになりました。

木下 外航船、商船は、オイルショックのころ非常に厳しかったと聞いています。漁船、フェリー、バルカーなど建造されていますが、船の大きさはある程度決まっているのですね。

長倉 船台の能力がありますので、大きさは決まりますね。

木下 船を作るのには設備に依存すると思いますが、いろいろな船のタイプがあると、基本設計はそれぞれのノウハウや構造の違いなどがあると思うのですが、どのように対応されているのでしょうか?

長倉 根本的にはすべて強度計算などで成り立つものですから、複雑か単純かの違いだけでベースは一緒です。バルカーやタンカーは量産性を求めますから、シンプルな設計をするということに対して、トロールやフェリーは全く逆ですから、注文住宅と建売住宅のようなものです。手作りでひとつひとつお客様のニーズを聞きながら作っていくということですから、正直生産性はあまりよくないですね。ただ、どちらかというとそういうもののほうが、競合他社が少ないのです。独自性がなければ、この業界では生き延びれないということになろうかと思います。

造船ブームと言われた2004年ぐらいまでは、バルカーを手掛けたことはなかったです。積極的に参入しようとして入ったわけではないのです。

バルカーを建造するきっかけとなったのは、ある船主殿から、20,000DWTをきるスリーホールドの船を作れないかと声をかけていただいたことです。2001年から2003年は仕事量が少ないときでしたが西日本地域の造船所はどこもやらないということでした。

20,000DWTをきるスリーホールドというのはかなり難しいのです。その船を建造させていただいて、次にその船形を利用して一般的な船を建造させていただいたら、使い勝手がいいとお客様から喜んでいただき、22~23隻シリーズで建造させていただきました。せいぜい4~5 隻注文をいただければいいかなと思っていましたが、サイズ的にも競合するところがないということで、今度は24,000DWTにシフトして建造しました。

注文住宅と同じで、お客様のご要望にお応えして船をデザインし建造しております。

木下 お客様ニーズをベースにして建造し、お客様に満足いただき、引き続きシリーズとして建造されているのですね。

長倉 3,500M3LPG 船も建造させていただきましたが、ここでもLPG 船に手を出そうというつもりはなかったのです。他造船所の船台が空いていないのでやってみませんかとお話をいただいたのが最初です。

そのような感じで、その業界に打って出たというつもりはないです。ヤマニシは外航船主体にシフトしたと取られますが、そうではないのです。お客様からお話があったのでやらせていただいているのです。ご要望があれば、どんな船でも建造します。

木下 バルカーなどの外航船は構造計算も含めてある程度仕様が決まっていると思いますので、設計の指針が出ると思うのですが、漁船等も仕様が決まっているのでしょうか?

長倉 ないですね。もちろん規則はありますが、漁労の種類によってまるで違う仕様となるので、経験が必要になります。

木下 経験されている人がおられたということですね。

長倉 今まではそうですね。漁船の設計も経験し、いろいろな業種の船に対応したのは、私が最後かもしれません。

木下 設計は外注でしょうか?

長倉 自社で設計しています。

木下 設計の基本仕様を決められて、性能や構造などはお客様からくるのでしょうか?

長倉 日本造船工業会が仕様書を提供し、それを具体化するのが造船所ということです。ほとんど自社でやるに近いですし、提供されたらかえってやりづらいという一面もあります。

石巻の雇用創生

震災後に建造した島根県漁業実習船
震災後に建造した島根県漁業実習船
島根県漁業実習船 進水式の様子
島根県漁業実習船 進水式の様子

木下 こちらに造船所があることの優位性、デメリットなどいろいろあると思うのですが、宮城県の石巻にあるということで他の造船所からみて優位性があるのはどういうところでしょうか?

長倉 コストでは、不利ですね。資材メーカーさんがほとんど西日本にありますから、コストアップになります。労働力に関しても他の造船業がありませんから、造船業は協力業者がいてはじめて成り立つ業界です。

企業再生支援機構や新しい支援機構にご支援いただいていますが、「ヤマニシさんがここに生き残っていくメリットは何か」と聞かれます。丈夫で長持ちをする船を作るということに尽きると思います。ヤマニシの船のファンのお客様がいらっしゃいます。

丈夫で長持ちする船はお客様にとってメリットがありますが、造船所にとってメリットではないですね。

お客様のニーズにどれだけ応えるかという船造りをしていかなければ、他社と同じことをしていても勝てないのです。

木下 地理的なメリットはない、コスト面も優位性はない。それでもここでヤマニシとして造船業をやっていくのは、お客様のニーズがあるからなのですね。

長倉 地場産業としての受け皿がほとんどありませんし、地場企業としては規模が大きいほうなので止めるわけにはいかないのです。また、京浜と北海道の間に位置しますから、修繕の受け皿としてもご利用いただいています。

震災で被災したエリアの中でも恵まれているほうだと思います。心臓部分の設備の復旧もできましたし、地場の雇用創生ということもあります。

GRADE/HULL

GRADE/HULL
GRADE/HULL
GRADE/HULL

木下 平成8年にGRADE/HULLを導入いただき、どのようにご利用いただいているでしょうか。

阿部 生産設計を現尺原図から、CAD システムの生産設計に変えようとして、GRADE/HULLを4台導入しました。若い人が中心になって、シリーズ船等の設計変更の対応に運用されるようになり、翌年には2台を増設しました。

ただ、設計はまだ2次元で行っています。

長倉 3次元で使おうとすると、3次元のデータがすべて必要ですね。一品料理が多いので、データが全部そろっていてどう部品を入れるか検討できる設計環境であればいいのですが、メーカーもラインも決まらない状況で、3次元で試行錯誤するのは難しいですね。

ただ、当社は新しいもの好きですから、何かトライしてみたいということはあります。

西ドイツの船のエンジンは日立造船が作っていますから我々にとってはGRADE/HULLを導入するときにNDESのイメージが良かったのです。

木下 今設計は、2 次元CAD が主体ですね。生産設計ベースのデータ処理は外注などで運用しているという形ですか。

阿部 船殻設計のヤード図などは外注支援です。その外注したデータをCDI事業部で生産情報に変えてもらっています。

CDI事業部とは、船殻生産設計の仕事で現尺原図の時代から、もう20年以上のお付き合いになります。

特に、GRADE/HULLを導入してからは、CDI事業部には、新造船の船殻生産(フェアリングから外板関係処理、そして内部構造処理作業など)をお願いしています。

震災からの復興

2011年3月11日 津波の押し寄せる状況を2階から撮影
2011年3月11日 津波の押し寄せる状況を2階から撮影

木下 昨年の11月にお伺いした時から比べると、ずいぶん復興されていますね。そういう環境がそろって、これからは船の受注ですね。

長倉 東日本大震災で被災し、多くの船主様から多大なお見舞いをいただきまして、そういう点では非常にありがたいです。

まったくの壊滅状態になりました。テレビの放映などでご覧になっていると思いますが、皆さん現地に来て見てみるのと全然イメージが違うとおっしゃいます。何とも言い難い状況であったのは確かです。

建物の2階に避難していましたが、5mの津波が流れてきたのです。津波というと波乗りの波を想像すると思いますが、川のような流れが押し寄せてきて、2階でもひざ下ぐらいまでの水位になりました。設計の建屋は全部流されてしまいました。

2時46分に地震があって、3時45分ごろから津波が来たと思ったらほんの1~2分で2階まで波が押し寄せ、30分程で引き波に変わって水位が下がりましたので、なんとか無事でした。

そのあとも津波が行ったり来たりです。外洋から入ってくる、水路から入ってくる、戻ってくるのとすごかったです。あっという間に駐車場の車や修理のために係船中だった船が流されました。

避難できる場所は建物の上か、クレーンの上かしかないですから、ここで津波が来たら全員助からないのではないかと思っていましたが危く命拾いをしました。

船台には進水式の予定が3月18日の24,000DWTのバルカー船が建造中でしたので、作業をするために100人ほど船に乗って工事などをしていましたが、船に乗ったまま流されて行ってしまいました。船台から滑り落ちて、橋に衝突し橋げたを落とし水路から流されてしまって、外洋に出てしまうところでしたが、あやうく擱座しておかげで全員助かりました。

3月16日の引き渡し予定であった24,000DWTのバルカー船は、対岸の防潮堤に乗り上げてしまいました。

木下 地震が2時46分で、津波が3時45分ぐらいから来たということですが、津波が収束してこれで大丈夫だ帰宅しようというタイミングはどれくらいだったのでしょうか?

長倉 次の日の朝です。津波が引いても真っ暗で何も見えないですからここから動けないのです。雪は降っていましたし、寒いので外には居られないですから。

携帯もつながらないですしね。

木下 ここに何人ぐらいおられたのですか。

長倉 80人ぐらいですね。事務所の人間と設計の人間は全部ここですから。何人助かるとかいう状況でしたが、全員助かりました。それがあるから、もう一度再建してやろうということです。

当時、社長は会合があるからと自宅に戻っていたときだったらしいです。社長は当日のこの工場を見ていないのです。車で来れるところまで来て、あとは歩いてきて現状を見に来ました。壊滅状態ですから惨憺たる状態ですね。

もうこれは会社を止めたほうがいいかなという話になりましたが、全員生き残ったということは、もう一回やれということなのではないかという考えになったのです。

周りの方々からもやるべきだと言っていただきました。人的被害があれば、なんであのとき早く避難命令を出さなかったのかということも出できますからね。

敷地がだだっ広いので、津波が盛り上がる要素がなく、建物も1階が広い空間でしたからそれで助かったので す。コンクリートの建物だったらダメでしたね。

こちらにいらして皆さんは田んぼや畑の田舎の風景だと感じられると思いますが、実は街並みがあったのですよ。

NDESの尾道のCDI事業部にデータがあって本当によかったです。90年分のデータがすべてなくなったわけですから。全く何もなかったら再起しましょうと言ってもできませんから。この中に残っているものだけです。

会社案内も津波でなくなり、ウェブサイトしか残ってい ないのです。

震災の被害状況と復興の様子

NDESへ

木下 GRADE/HULLのシステムをご提供し、生産 設計のアウトソーシングも受けておりますので、私どもに要望すること、アドバイスなどいただければと思います。

阿部 船殻設計でずっとCDIとお付き合いをさせていただいております。CDIにはずっと助けられてきたと思います。人数も少ないですし、図面のチェックもするのですが、CDIに出して3D化 した時点で不具合箇所など逆にアドバイスをもらったりして、構造を変えようかと検討したりしていますので、 頼りにしてます。もちろん、CDIがミスされる場合もあ りますが。

木下 GRADE/HULLをベースに後処理のシステムを追加して、生産設計~基本設計の船殻系をワンステップで一気通貫でできるように、さらに艤装のデータもできればいいというご要望をいただいており体制を作りつつあります。

長倉 たまに思い出し、この間も言われてはっと気が付きましたが、造船業というのは、勝ち負けではないのです。貸し借りです。貸し借りは長いお付き合いをしないと今回借りておいていますが。そういう関係でいっときの勝負でやるのではなく、船はずっと長持ちしますし、貸し借りでやるしかないから、どっぷり使ってもらって長くお付き合いさせていただくしかないと思っています。

被災したからどうだというつもりはありませんし、そう いう目で見られるのもいやです。

ここまで復帰してきて、あとは従前どおりのヤマニシの船が作れるのかどうかというところがお客様の一番の 注目点だと思っていますので、ああやっぱりな、というような船は作れないと思っていますから。そうでないとやっていけないですね。

木下 本日は、貴重なお話をお聞かせいただき、あり がとうございました。

企業プロフィール

復旧中の本社工場
復旧中の本社工場

株式会社ヤマニシ

URL http://www.yamanishi-miyagi.co.jp
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本社 〒986-0843 宮城県石巻市西浜町1番地2
創業 大正9年
資本金 1億円
従業員 145名
営業種目 造船業、船舶修理業、鉄構造物製造業、損害保険代理業、生命保険代理業

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